浅利慶太と小澤征爾 

浅利慶太氏が亡くなられました。劇団四季の舞台は何回か見たことがありますが、ちょっと別の観点から浅利氏の業績を紹介します。大指揮者として世界で活躍した日本人指揮者、小澤征爾氏ですが、実は若き日は、NHK交響楽団との間の深刻なトラブルに巻き込まれ、一時は音楽家として挫折しかねない状況に追い込まれました。

勿論、小澤氏の未熟さも(音楽家としてだけではなく、まだ20代で、親のような年代の楽団員とうまくコミュニケーションできなかった)あったでしょう。しかし、はっきり言いまして、若い才能を育てるよりも難癖をつけ、自分たちと異質の過程を経て先に世界で評価された新しい世代への嫉妬に近い反感、そして最も悪い意味での官僚的な「いじめ」、マスコミを利用した誹謗を行ったのは、公平に見てNHKの側でした。

その時、小澤を支え、再び彼を音楽の道に旅立たせたのが、三島由紀夫、石原慎太郎、大江健三郎、黛敏郎といった同世代の仲間たちであり、小澤のイメージを救う「名演出」をまとめたのが、演劇人浅利慶太でした。

詳しくは、リンク先の記事がとてもよく書いているので、ぜひご一読ください。

追悼:浅利慶太 NHK交響楽団にボイコットされた27歳の小澤征爾を救った仲間たち

追悼・浅利慶太~NHK交響楽団にボイコットされて窮地に立った27歳の小澤征爾を救った仲間たち

正直、小澤を正当に評価したのは日本ではありませんでした。まず、サンフランシスコ交響楽団、ボストン交響楽団といったアメリカのオーケストラでした。よく日本の音楽家で、クラシック、ポップスを問わず「アメリカでも大成功、活躍中」と宣伝される人がいますが、正直、その多くは、現地の日本企業や日系人有力者の応援にささえられたものか、あるいはレコード会社が仕掛けた数回のイベント的な盛り上がりに過ぎないことがあるようです。

しかし、小澤征爾の人気と活躍は本物でした。長髪に自由な服装で指揮台に立ち、ヨーロッパの伝統に縛られず、きびきびした新鮮なスタイルでリズム感あふれる指揮をする小澤は、若い世代のアメリカ人に素直に受け入れられていきました。その結果、アメリカで録音されたアルバムが逆輸入の形で日本に聞かれる形になったのでした。

実は私がドボルザークの「新世界交響曲」をレコードで初めて買ったのがこの小澤の若き日の録音でしたが、はっきり言って、日本での批評やクラシック通の中には悪意を感じさせるような過小評価もあったように覚えています。(もちろん正当な評価もありましたが)

その後世界の大指揮者となった小澤については今更触れる必要もないでしょうが、三島由紀夫が、NHK事件当時に述べたこの小澤評を、そのまま小澤は見事に人生で実践したといえるでしょう。

「日本には妙な悪習慣がある。『何を青二才が』という青年蔑視と、もう一つは『若さが最高無上の価値だ』というそのアンチテーゼ(反対命題)とである。私はそのどちらにも与しない。小澤征爾は何も若いから偉いのではなく、いい音楽家だから偉いのである。」

「もちろん彼も成熟しなくてはならない。今度の事件で、彼は論理を武器に戦ったのだが、これはあくまで正しい戦いであっても、日本のよさもわるさも、無論理の特徴にあって、論理は孤独に陥るのが日本人の運命である。その孤独の底で、彼が日本人としての本質を自覚してくれれば、日本人は亡命者(レフュジー)的な『国際的芸術家』としての寂しい立場へ、彼を追ひやることは決してないだらう」

「私は彼を放逐したNHK楽団員の一人一人の胸にも、純粋な音楽への夢と理想が巣食っているだろうことを信じる。人間は、こじゅうと根性だけでは生きられぬ。日本的しがらみの中でかつ生きつつ、西洋音楽へ夢を寄せてきた人々の、その夢が多少まちがっていても、小澤氏もまた、彼らの夢に雅量を持ち、この音楽という世界共通の言語にたずさわりながら、人の心という最も通じにくいものにも精通する、真の達人となる日を、私は祈っている」(三島由紀夫)

真の達人となった小澤は、長野オリンピックを、浅利慶太の演出に音楽監督として花を添えました。二人ともNHK事件を繰り返し語るような狭い心はありませんでしたが、やはり彼らの人生の中で大きなウエートを占めた事件だったのではないかと思います

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