2009年に書いた文章ですが、現状況下、あえて修正せず掲載します。「「拉致問題よりも核問題」という発想は戦後一国平和主義の最悪の表れである」

仕事のためパソコンを整理していたら、以下のような昔書いた原稿が出てきました。2009年に書いたものなので、まだ北朝鮮は金正日の時代、事実関係は全く古くなっていますが、あえて一切修正せずに掲載します。当時拉致議連や救う会はアメリカにブッシュ大統領が外したテロ支援国家指定を再開するよう要請しており、その姿勢にどうにも疑問を感じて書いたものです。また、前原氏が1999年に平壌で写真撮影をしたことより、この時の発言の方を私は問題にすべきと思います。当時「石川時事評論」というミニコミに書きました。いまは状況も私の考えも変わったところは多いのですが、誤解を恐れず掲載します

「拉致問題よりも核問題」という発想は戦後一国平和主義の最悪の表れである

三浦小太郎(評論家)

日本政府こそ北朝鮮をテロ国家指定を

 北朝鮮を巡る情勢は、核、拉致問題共に膠着したままである。その中、4月末に家族会、救う会、そして拉致議連は訪米、国務省で北朝鮮政策担当のボズワース特別代表らと面談した。しかし、ボスワース氏は「現状では、米国が緩めたさまざまな制裁を再び科すつもりはない」と述べ、北朝鮮のテロ支援国再指定には否定的な見解を示し「圧力を常に避けるべきだと思ってはいないが、現状では、制裁によって北朝鮮の行動を変えられるとは思わない」と消極的な姿勢を示した。

 私は家族会や救う会の努力を遠くから無責任に批判するつもりはない。現実に世界の超大国であり、かつ日本と民主主義や人権などの価値を共有するアメリカとの連携が必要なことも認識しているつもりである。

 しかし、この時点で、アメリカに再び、しかも日本政府当局からの要請ではない形で、テロ支援国家再指定を求めても、あえて言えば現実性は殆どない。アメリカは北朝鮮問題を、現時点では6者協議の枠内、つまり何よりも核拡散を防止すること(核保有は場合によっては小規模ならば妥協する)に限定しており、人権問題、拉致問題などは、無視するわけではないが、それこそ『忘れることはない』という二義的な問題に留まっている。

この姿勢を批判することは構わないが、より家族会、救う会、そして何よりも拉致議連がなすべきことは、日本政府に対し、北朝鮮を「テロ国家」認定するよう迫ることであり、そのための法的整備であるはずだ。日本政府自らが、北朝鮮をテロ国家指定せずして、他国にそれを求めるのは、常識的に考えても説得力は乏しい。アメリカ国内にはブラウンバック上院議員など、北朝鮮を再度テロ支援国家指定せよと訴えている議院は少数ではあるが存在する。彼らへの最大の援護射撃は、自国民を拉致された被害国である日本、そして韓国の、北朝鮮テロ国家指定宣言のはずだ。

 そして、4月28日、中国の青島では30人余りの脱北者(北朝鮮難民)が、韓国を目指そうとして中国政府により不当逮捕された。しかも、そのうち7名ほどは幼児や児童だという。難民条約に加盟していながら、送還されれば厳しい拷問や強制労働が待ちうけ、仮に運良く生きのびても生活基盤は破壊されることは、脱北者の様々な証言で明らかであると言うのに、中国政府は彼らを北朝鮮に送り返すのだ。これは事実上の「テロ支援国家」の行動である。中国に対し人権外交の視点から抗議の声を日本政府に挙げるよう求めることも、拉致議連の重要な仕事のはずなのだが、残念ながらその声はまだまだ小さい。

「拉致問題よりも核問題」を唱える日本の政治家

しかし、一部政治家には、与野党共に、拉致問題より核問題を重視すべきだという意見の者も存在する。自民党では山崎拓、加藤紘一議員の名前は挙げるまでもないが、民主党で、防衛問題などではむしろ保守派、改憲派と見られている前原誠司議員もその一人だ。

前原氏は4月16日、ワシントンで講演し、「拉致問題はあるが、日本も重油支援などに加わるべきだ。6か国協議の中心議題は核の問題で、日本も関与し続けることが大事だ」と述べている。岡田克也議員もほぼ同様の主張を述べたという。いや、彼らはまだ自分の意見を堂々と述べているだけ正直なのであり、おそらく与野党共にこのような主張は決して少なくはないはずだ。アメリカはそれなりに日本を冷静に観察しており、日本の国会に北朝鮮をテロ国家指定するような決意はないことを読みきっていると見るべきなのだ。

このような主張がなぜ間違っているか、少なくとも拉致問題の解決を目指す人びとは何度でも反論していかなければならない。まず、北朝鮮が核武装化を目指している事は事実だが、核ミサイルは、現実に発射されなければ一人の人間の生命を奪うこともないのだ。米中が核拡散を恐れるのは、その技術や兵器がテロリストなどにわたる危険性を恐れているだけであり、北朝鮮が実際に日本や韓国向けに核攻撃をかければ、その瞬間にあの国は消滅させられることは、金正日ですら百も承知である。かのミサイルは毛沢東の懐かしい言葉を借りて言えば「張子の虎」に過ぎないのだ。核ミサイル開発は、アメリカとの直接交渉を引き出し、中国に対しても自立した姿勢を貫きたい北朝鮮の必死の生き残りゲームである。

しかし、現実に拉致によって人生を狂わされ、今も尚自由を奪われ、しかも生存の可能性が高いにも関わらず、虚偽の死亡宣告によって存在を抹消されている人びとの悲劇は、比べ物にならないほどの人権・人道上の大問題である。そして、それは単に人権問題に留まらず、日本国政府が、核ミサイルの脅威を自国民の悲劇よりも上に置く姿勢をもしも見せたのならば、全世界のテロ国家、テロリストは、日本に対し、これほど「脅迫に弱い」国家はないと見なすようになるのだ。この国益上の損失は計り知れないものがある。

かって、ダッカハイジャックに際し、「人命は地球よりも思い」という判断でハイジャック犯の要求を呑んだ日本政府は、その後の西ドイツ政府のエンデべ空港におけるハイジャック犯襲撃・人質解放と比して、テロリストへの屈服ぶりを批判する声が挙がった。しかし、撃つ可能性も低い核ミサイルに怯え、拉致被害者の救出を後回しにする発想はこの時の日本政府の妥協よりも遥かに悪い。少なくとも、今危機にある人びとの人命優先は一つの正当な価値観である。ありうる可能性の極めて低い核攻撃による架空の人命への危機を、今、その存在すら否定されると言う最悪の人権侵害、人間性への侮辱を強いられている人びとの救援よりも優先すると言うのは、最悪の「核アレルギー」であり「人命の軽視」に他ならない。

「核の脅威、戦争の脅威」よりも

「独裁の脅威」を重視せよ

 大東亜戦争後、世界は少なくとも大規模な核戦争も世界戦争も体験せずに来た。これ自体は喜ぶべきことである。しかし、その「平和」の蔭で、スターリン、毛沢東、歩ルポト、そして金日成・正日らの独裁者は、民衆を虐殺し続けてきたのだ。少なくとも北朝鮮において行われてきたのは、独裁政権による民衆への百万を超える「虐殺」であり、抵抗する可能性のある人びとは全て殺されてきたと言っても過言ではあるまい。

 戦争の脅威や被害よりも、核の恐怖よりも、さらに恐ろしいのは独裁政権による民衆への「脅威」ではなく「形を変えた戦争」であり「国内収容所」における虐殺である。この現実に眼を閉ざし、同胞の拉致事件という明らかな国家主権侵害かつ人道侵害よりも、北朝鮮独裁政権による民衆虐殺よりも、また「テロ支援国家」中国の脱北者の強制送還よりも、核問題を優先すべきだと言う日本国政治家の姿勢は、戦後日本の一国平和主義の最悪の堕落した表れと見なすほかはない(2009年5月11日)。
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