鶴屋南北の描いた「悪」

6月27日上映予定の「東海道四谷怪談」ですが、原作者の鶴屋南北は、いわゆる「賤民」の出身だったとされています。このことについて、作家の小林恭二氏が「新釈 四谷怪談」(集英社新書)のなかでとても的確な指摘をしていますので、そのままの引用ではありませんが要約して紹介します。

小林氏によれば、彼らは単純に「差別された存在」というよりも、江戸時代においては「身分制度の外にある存在」で、実はいくつもの特権や自由も与えられていました。芝居の興行に対して課税する権利を持ち、同時に芝居はすべてただで見放題でもありました。

重要なのは、「賤民」が、皇室から刑場、芝居小屋まで、聖・俗・貴・賤を問わず、実に様々な場で活躍していたことでした。ある意味、様々な制約や土地に縛られていた武士や農民よりもこの点では自由だったとも言えます。なお、南北の芝居には葬礼や刑場の描写が多くみられ、江戸時代当時から「棺桶を用いたる狂言を見れば作者は南北」と言われていました。

確かに彼らは一般からは嫌がられた「穢れ」とされる仕事を引き受け、差別されてもいたでしょうし、支配者たちからは存在時代が「悪」とみなされることもありました。しかし、その一人でもあった鶴屋南北は、「人間の悪」を弁護することも居直ることもせずに、作品のなかで、悪を見据えたうえで人間の本質に迫ろうとしたのだ、と小林氏は述べ、次のように記しています

「悪は非難されるべきかもしれませんが、少なくとも人間の営みの一部なのです。そしてそれをつきつめた結果、究極の悪の姿であるお岩様に到達したのです。お岩様はその容姿においても、所業においても、完全無欠な悪です。しかし、四谷怪談の前半を見れば、それが無限の哀しみから生まれたことがわかります」(新釈四谷怪談)

これはお岩様にたたられる伊右衛門もそうで、彼の行為も何ら弁護のしようがない「悪」ですが、そこにはなぜか不思議な魅力があるように思えます。いきなり話が飛ぶようですが、本居宣長が日本精神の根本にあるのは、「善悪」を論じ、何が正しいかを独善的に決めつける「からごごろ」ではなく、「もののあはれ」だ、と述べたことも、日本の古典を深く読み込んだからだけではなく、この江戸時代の文化に深く根差していたように思えます。

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