エリドリッジ・クリーヴァ―の「転向」

私は1960年代アメリカの様々な変革運動、公民権運動、学生運動、ブラックパワー、ベトナム反戦運動、ヒッピー運動、そして白人過激派(ウェザーマン派、彼らは本気で爆弾闘争や都市ゲリラを指向した)などについて、まあ翻訳ものばかりだけど、多少は本を読んだことがあります。これは、私が当時のアメリカのニューシネマ、ロック、ジャズなどが好きでたまらす、その多くが、これらの運動を生み出した時代の影響を何処か受けていたので興味を持ったのでしょうね

その中で最も印象的だったものの一つが、ブラックパンサー党の初期指導者エルドリッジ・クリーヴァ―による、アメリカ白人文化への宣戦布告の本というべき「氷の上の魂」でした。

クリーヴァ―は1935年に生まれ、青年時代、差別への怒り、白人への憎悪などから犯罪を繰り返し、懲役刑を受けました。「氷の上の魂」は、その獄中で、マルコムXをはじめとする黒人運動家の著書、そして左翼文献などを通じて、町の犯罪者に過ぎなかったクリーヴァ―が一人の黒人革命家として成長していく過程で書かれたものでした。

クリーヴァ―は出獄後、当時アメリカでもっとも過激な黒人運動組織だったブラック・パンサー党に参加、党員の銃による武装を積極的に推奨、アメリカ合衆国に対する闘争を宣言します。黒人社会を拠点とした共産主義革命、白人支配への打倒、アフリカ、ベトナム、中国など第三世界との国際的連帯を唱えたパンサー党は、アメリカ社会における最大の脅威とすら言われました。

1966年、パンサー党本部がFBIに襲撃され、クリーヴァ―も負傷、彼はその後地下に潜り、キューバを訪れますが、当時はチェ・ゲバラに象徴された革命の島のように思われていたキューバの実態は単なるソ連の世界戦略の一環にすぎず、むしろ訪れたアメリカの左派活動家を利用し堕落させていることに失望します。彼はその後、中国、ソ連、アルジェリア、北朝鮮、北ベトナムなどをめぐりましたが、どの国の実態も彼には幻滅しかもたらしませんでした。

クリーヴァ―は、中国の毛沢東に幻想を抱くブラックパンサー党首脳部を批判、党を除名されますが、結局彼は黒人運動に新しい展開を見出すことはできず、1975年、正式に「転向声明」を発表、アメリカに帰国し、その後は反共保守の立場を取り、後にはレーガン政権を支持。98年に亡くなりました。75年のインタビューが一部翻訳されています。

「我々がやったことを厳しく点検し、人々が我々に行う批判に耳を傾けるべきだ。我々は何らかの転換を準備しなければならない。私は社会主義圏を旅行し、身近にそれを見聞し、ソ連や中国がどう運営されているかを知った。」

「かっては社会主義が最も未来を代表していた。しかし、経験が示すところでは、社会主義や共産主義こそが、世界史上もっとも抑圧的な体制を人民に強制している。プロレタリアートの名の下で、しかしプロレタリアートにはよらない独裁だ。」

「我々はソ連との緊張緩和に向けて動くのではなくて、現在のソ連体制に絶対に反対していくべきなのだ。」

「私は今では、アメリカは軍事的に世界最大であるべきだと思っている。我々は米軍を後退させるべきではなく、強化すべきなのだ。」

「軍人は愛国的な存在であって、それは悪いことではない。私も愛国者に代わりつつある。軍人はプロフェッショナルで、これまでは右翼が支配してきたある政治的な路線を持っている。彼らはアメリカ人だから(意見は違っても)アメリカ人らしく扱わねばならない。本気でアメリカを良くしようと思うなら、軍人を排除せず、その動向を討論すべきだ。」

「時には、右翼が我々に言った批判が正しかったように思う。彼らは我々は裏切り者で、アメリカを敵に売り渡し、共産主義者を支持している、と言った。私にわかったことは、共産主義者はアメリカから単に右翼だけを一掃しようとしているのではないことだ。彼らは我々アメリカ人を全部やっつける相談をしているのだ。」

「私はアメリカが改善されることを望んでいるが、ぶち壊されることは望んでいない。我々は、アメリカを破壊しようとしている人たちへの警戒を怠るべきではない。」

クリーヴァ―の転向後の著作は日本には全く紹介されていませんが、彼は反共主義を徹底していく中で統一教会やモルモン教にも接近し、晩年には、キリスト教とイスラム教の融和を唱えていたといいます。

クリーヴァ―のケースは、極左派から極右へのよくある転向の一例だ、と言えばそれまでかもしれません。しかし、ヒューイ・ニュートンら他のパンサー党指導部が中国をニクソン訪問直前に訪れ、文革末期の中国をまさに理想社会のように讃えたり、同じく黒人運動家アンジェラ・デイヴィスのソ連一辺倒の政治姿勢などに比べ、クリーヴァ―が少なくとも共産主義体制の真実を見抜いていたことは確かです。

クリーヴァ―は日本でもアメリカでもすでに忘れられた存在でしょう。しかし、私は貧しさと差別の中犯罪に走り、希望と救いを革命に夢見て、口舌だけではなく実際に過激な運動に突き進み、そして挫折し転向したこの黒人思想家のことを、やはり覚えていたく思います。

You can leave a response, or trackback from your own site.

Leave a Reply

Subscribe to RSS Feed