1968年、ボストンの暴動を止めたジェームズ・ブラウン

1968念、キング牧師が暗殺された日、当時のソウル・ミュージックのヒーローの一人だったジェームズ・ブラウンは、ボストンでのコンサートを控えていました。この時も、黒人たち、そして学生運動家たち、アメリカにおける革命を訴える若者たちの暴動が全国で起きました。

しかしこのボストンで、ジェームズ・ブラウンはコンサートを行い、かけつけた満員の黒人観衆たちの前だけではなく、テレビを通して放映されました。テレビ放映は予定されていなかったのですが、なんとか画面を通じて黒人たちに平静を呼びかけてほしい、ということから急遽放映が組まれたようです。ジェームズ・ブラウンは、街に出るな、音楽を聴こう、暴挙に走るなと訴えました。

そのコンサートの映像が今はこうしてネットに挙がっているのですが、途中、熱狂してステージに上がろうとした黒人少年を、警備にあたっていた白人の警察官が(このコンサートが暴動化することを恐れて警備していました)やや乱暴にステージから落としたことで、一時ファンが騒然となり、単に踊りたい少年だけではなく、怒りのあまり訴えたい黒人たちまでがステージに上がってくる瞬間がありました。この映像はその時のものです。簡単な字幕もついています。

「落ち着け、俺たちは黒人だろ、こんなことを(ステージに上がって怒りをぶつけても)しても何にもならない、自分自身を傷つけるだけだし、俺も傷つく。ダサいだけだろ、ショーを続けるぞ」ブラウンはこうしてステージを治め、かつ、この夜ボストンでは全く暴動は起きませんでした。

その後、ブラウンは国外の米軍基地でも慰問ライブを行うようになります。しかしそこでも、彼はベトナム戦争についての是非など一言も口にせず、ただ、最高のライブだけをしようとしました。軍に対しても「俺は音楽を聴いてくれる兵士たちに、戦争や政治のことは一言もしゃべらない。軍のことに口出しもしない。だから、俺のライブにも口出しはしないでくれ」と言っていたそうです。

ある日本の音楽評論家で、沖縄音楽のすぐれた解説者だった人がいました。竹中労という人で、彼は盟友だった平岡正明と共に、沖縄米軍基地でのジェームズ・ブラウンのライブを「黒人兵への決起を呼び掛ける」ものだ、という趣旨のことを言い、彼の考える沖縄の政治・文化運動と結びつけるようなことを言っていたようですが、こういう中途半端に政治を持ち込むのはこの世代の沖縄音楽解説者のほんとうに悪い癖だったと思う。

そんなレベルでジェームズ・ブラウンは音楽をやっていたんじゃない。彼の歌に「大声で言え、俺は黒く、そして誇り高いと(セイ・イット・ラウド・アイム・ブラック・アンド・プライド)」というのがありますが、暴力で著さないと表現できないようなちっぽけなプライドのことを彼は歌っていたのではない。

今回、無残に殺された黒人の弟が「みなさんの怒りは理解できる。でも私に比べれば、怒りは半分だろう」と語り、「それでも私は物を壊したり、地域社会を破壊したりしていないのに、みんな何をやっているんだ」と、暴動の中で、略奪や暴力をふるう人たちに自制を呼びかけていましたね。あのスピリットこそジェームズ・ブラウンに通じる。


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