荒木和博さんと呉吉男氏のことを話しました

荒木和博さんと4月15日行ったトークの模様です。呉吉男氏のことを中心にしゃべらせていただきました。彼は80年代、亡命先の西ドイツから、家族と共に北朝鮮に渡りましたが、対南放送に利用され、最後には再びヨーロッパに赴いて韓国人拉致に協力する工作員活動までをも要求され、ヨーロッパの地で再度亡命します。しかし、北に残された妻と子供は、収容所に入れられてしまいました・・・

彼がなぜ北朝鮮に騙されて向かってしまったのか、その過程をまとめておきます。

彼は貧しく、かつ家庭も混乱した状態で少年時代を過ごし、朝鮮戦争にも見舞われ、韓国にいる頃から左派の思想に共感を持ち、労働者の権利を守るような経済学を追求していこうと考えていました。もちろん、それ自体は批判されることではありません。1950年代から60年代にかけて青春時代を送った人たちの中には、純粋な気持ちで共産主義に共感した人は沢山いました。

そして、西ドイツ留学後、韓国民主化運動の団体に参加し、反朴正煕の政治運動にのめりこんでいきます。これも同じように、多くの学生や知識人が入っていった道のりです。

ですが、運動家としての活動が中心になると、生活面では次第に追い詰められていきます。運動でお金が入るわけではなく、また、ごく一部を除いては、知識人として名をはせられるわけでもありません。無理な生活と不安定な職業の中、経済的にも追い詰められ、家庭も、妻が無理がたたって病気になるなどの苦境を迎えます。

しかし、このような事態になっても、運動を中心に生きてきた呉氏には、交友関係や頼れる関係が、在ドイツの韓国人、それも民主化運動関連の知識人や支援者しかありません。その人たちに苦境を相談していけば、その情報は、どんどん、彼らの内部にいる北の工作員に伝わってしまいます。

そして、苦しいときに、「売れ残りだけど…」と言って経営するお店の食料品を分けてくれたり、親身になって相談に乗り、家に招いて励ましてくれたりした、親友と思った何人かのうち一人から「北から来た人に会ってみないか」と誘われてしまえば、ついつい会いに行ってしまったのも理解できないことはないと思います。

一度会ってしまえば、向こうは、脅しと、同時に相手のプライドをくすぐる勧誘のプロです。「いつまでもドイツにいても芽は出ないでしょう、北朝鮮に来ていただければ先生は歓迎され、先生の知識は生かせます」「韓国に今更戻ってもいいことはありませんよ。貴方はずっと韓国政府に反対してきたんだから(そして、私たち北の人間と接触したことが分かったら、犯罪者となってしまいますよ)」「奥様の病気もタダで治療できるし、お子さんたちも無料で大学まで行けます」次第に、呉氏は彼らのペースに乗せられてしまいました。

最後の大きなひと押しとなったのは、ドイツ在住で、韓国独裁と闘い続ける「自由の闘士」作曲家ユン・イサンの、北へ行くべきだという言葉でした。民族の英雄、ドイツにおける韓国民主化運動の象徴のような人に紹介され、励まされたことも、呉氏のプライドを満足させたのでしょう

そして、北の実情を知り、監視員の眼を潜って再度ドイツに戻ってきた呉氏が、北に残してきた妻を助けるために彼らに支援を求めた時、これまで優しかった友人は、電話口で怒鳴りつけて呉氏を罵倒しました。ユン・イサンに至っては、お前は北に帰るべきだと説教する有様でした。

民主化運動時代の友人や、一生の同志とも思った人々からも、最も優しい人ですら、一度会ってくれただけで、「君を歓迎する韓国人(同志)はもういないのだから、ドイツ政府の福祉にでもすがって一人静かに生きて生きたまえ」「奥さんと子供のことはあきらめろ」と突き放すだけでした。

呉氏は、彼らのほとんどが、民主化運動や祖国の統一運動を目指すというのは美しい外向きのスローガンにすぎず、北朝鮮という独裁体制の影響下にあるか、ユン・イサンのように完全な北の同伴者であることを悟ったのでした。

既に呉氏は80歳に近く、体も悪いということで、日本で話をしてくださるような機会はもう作れないでしょう。しかし、私はこの方の人生には、北朝鮮帰国事業にも、また、日本人拉致事件にも通じる様々な問題が含まれているように思いますし、民主化運動(あるいは環境問題、平和主義、アジアとの友好云々)の名を借りた北朝鮮や中国の工作を考える上でも、重要なテーマを含んでいるように思えてなりません。

You can leave a response, or trackback from your own site.

Leave a Reply

Subscribe to RSS Feed