映画「フォレスト・ガンプ」見直そうかな

俳優のトム・ハンクス氏が今回コロナウイルスに感染と報じられていましたが、無事退院したとのことです。とりあえず、祝して代表作の一つ「フォレスト・ガンプ」久しぶりにこの週末観ようかと思います。

この映画はご存知の方も多いと思いますが、アメリカ現代史を、主人公で知能指数は低いが純粋な性格を持つ「うすのろガンプ」の人生と共に辿っていくもの。ただ、この映画に対し、どうにも的外れの批判が時々あるので、ちょっとその辺だけを指摘しつつ紹介。大ヒットしたので未見の方は少ないかもしれませんが、ちょっと興味を覚えてくれたら再見ください。個人的には、休校が続く中、名前は知っていても見たことのない10代の方にはぜひおすすめしたい。

私が愛読しまた多くを学ばせていただいている本に「最も危険なアメリカ映画 『國民の創生』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで」(町山智浩著 集英社)という本があります。これはアメリカのポピュリズムの闇と危険性(それは民主主義そのものの危険性に繋がるものですが)を映画を通じて深く論じた本。しかし、まことに残念ながら、その中のゼメキス監督批判、特に「フォレスト・ガンプ」批判だけは誠に残念。もう政治的批判が全面に出て、映画の本質を見誤っているとしか思えない。

簡単に要約すれば、町山氏の批判は以下のようなものです。

「フォレスト・ガンプ」は1960年代アメリカを描いているのに、黒人の公民権運動はほとんど描かれず、ベトナム反戦運動や、アメリカの主流文化に対抗したカウンターカルチャーは否定的もしくは戯画的に描かれている。

特に本作のヒロインジェニーは、反戦運動やヒッピー運動に参加していくのに結局人生を破滅させる存在として否定的に描かれ、ベトナム戦争に参加し、政治から遠く「純粋に」生きるガンプは成功者となる。これは「聖なる愚か者」「純粋なアメリカ保守的庶民」を讃美するポピュリズムだ、また、ベトナム戦争がアメリカの敗戦に終わったこともこの映画では描かれずごまかされている、という批判でした。

しかし、これは監督ゼメキスの政治的立場(確かにゼメキス自身は保守的な立場だとは私も思います)への批判としてはあり得ても、この映画批判としてはあまりにも的はずれです。

まず、ガンプはいわゆる知能指数も低い、しかも当初は体に障碍も抱えた少年として生まれてきますが、母親の献身的、かつ決して子供を必要以上に甘やかさない深い愛情に包まれて成長していきます(かつ、彼が母親の庇護を脱することも、自分を保護していた拘束具が壊れることできちんと描かれています)。それに対し、ヒロインのジェニーは、美貌を持ち知性も高い少女ではあるけれど、父親の性的な虐待下、ほぼレイプまがいの暴力を受けてしまいます。

ジェニーの不幸は、この少女時代のトラウマを克服できないまま親の世代への反抗心から反戦運動やヒッピー運動に入っていったことに逢ったことが映画からは充分見て取れます。その結果彼女は、口に平和主義を唱えつつ恋人に平気で暴力をふるうような運動家としか関係を持てません。これを町山氏はベトナム反戦運動への揶揄や誹謗と受け取っていますが、これはジェニー自身の内面の問題として受け取るべきでしょう。ジェニーがストリップ小屋でヌードで反戦歌を歌うシーンとかも、「性の解放」と「反戦運動」が結びついていた60年代後半のアメリカの対抗文化の象徴にほかなりません。

しかし、そのジェニーは死の直前、いかなる意味でも他者を傷つけることのない、真の意味での平和の象徴であるガンプと結ばれることにより、ついに父親からの被虐体験を乗り越えることができたのでした。私にはこの映画はそのような悲しい運命の女性と、無知ではあるが愛情に包まれることで世界を受け入れることのできた幸福な男性のドラマとしか受け取れませんでした。

ついでに言っておくと、ベトナム戦争の敗戦も、当時の公民権運動もこの映画には描かれていないと町山氏は批判しますが、それはガンプの視点からはそのような政治の動きが理解できないからだ、と受け取るのが映画を観るということではないでしょうか。ジェニーを主人公としたらそのようなシーンをゼメキスは彼なりの解釈で描いたでしょうが、これはガンプから見たアメリカ現代史なのです。

かつ、ガンプが初めてバスに乗った時、彼を他のすべての御客や運転手が遠ざけたり忌避したりする際、彼の隣に座ったのがまずはジェニーであり、そして、ガンプが陸軍に志願する時にも最初に彼の隣に座り理解を示すのは黒人兵です。この描き方の背後にあるのは、明らかに公民権運動の始まりだった南部のバス・ボイコット運動でしょう。

黒人と白人の席が平然と分けられていた南部のバス。しかし、このように目に見える差別だけが問題なのではありません。黒人以外にも、身障者や知的障碍者への差別、少なくとも彼等を遠ざけようとする構造は社会のいたるところにもある。そこで決して差別しない象徴として、後に反戦運動家となるジェニーや、また黒人兵が描かれているところを見ても、この映画が決して彼らを差別したり蔑視したりしているものと単純に断罪はできないでしょう。

まあこういう難しい議論をこの面白い映画のために論ずるのは無粋極まりないのですが、こういう批判もある、という例として紹介させていただきました。まあ、いい映画だと思いますので、ハンクスの健康を祈りつつ週末再見しようかと思います

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