古賀俊昭議員がお亡くなりになりました。「コリオレイナス」の言葉で追悼させていただきます

古賀俊昭都議会議員がお亡くなりになりました。古賀先生と私はそれほど交流があったわけではありませんでしたが、拉致問題についてもっとも初期の段階で行動された議員のお一人として尊敬しておりました。

古賀議員と最後にお会いしたのは、確か荒木さんが、朴正煕大統領を追悼して拓殖大学で開催した集会の時だったかと思います。そこで古賀議員と短いお言葉を交わした時「今、シェークスピアの『コリオレイナス』を数人の仲間と読んでいるんだよ』という意味のことを言われたのをとても印象深く覚えています。

『コリオレイナス』は、大衆の代弁者として彼らを扇動し、貴族や軍人の伝統的権威を引きずり降ろそうとする「民主派」「大衆の代弁者」たちと、あくまで貴族元老院の伝統的権威を維持し、責任を取らない大衆に政治の決定権を渡したり、大衆におもねったりしてはならないとする軍人政治家との対立のドラマ(そう簡単に要約はできないのですが、あえてこのように書きます)です。

軍人として祖国に勝利をもたらしておきながら、民衆の穀物無料配布などのバラマキ政治を批判、また、民衆の政治参加を無責任な大衆政治の誕生として批判したコリオレイナスは、ついにローマを追放となります。

この劇は現代社会を考える上でもまことに興味深い作品なので、もしよろしければご一読をお勧めします。古賀議員は、このような文学作品を政治家が学ぶべきだと考える数少ない政治家の一人でした。

少しセリフを引用しておきます

(民衆が一度はコリオレイナスを選挙で指導者に選びながら、大衆扇動者たちにあおられて今度は引きずりおろそうとする動きに対して)

「これは貴族(政治に責任を持つ覚悟のある人間)の意志に口枷をはめるために

始めから仕組まれたたくらみだ。陰謀だ。
これを許せば、支配することができずに
支配されるのも嫌だという、
そんな連中の天下になる。」

「衆愚の賛成、反対によらざれば何事においても

決定を下すことができぬありさまだ。
これでは必要な措置は何一つ取れず
その場しのぎにうろうろするのみだ
実施が妨げられれば
何事も無策に終わるほかない

だからお願いだ、

いたずらに恐れを抱くよりも見識を持とうとするもの
国家の変革に疑いをさしはさむよりも
その基本精神を大事にしようと思うもの
長生きするより名誉ある生き方を望み
このままでは確実に死ぬことになると分かれば
危険な治療にわが身を投げ出そうとするもの
そのようなものは即座に、
あの大衆の代弁者の舌を引っこ抜くがよい
奴らにあまい権力の味をなめさせるな

諸卿が堕落すれば元老院の判断力は麻痺し

国家に必要不可欠な統一が失われることになる
悪が一切を支配し 善をなそうとしても
その力を持てなくなる」(『コリオレイナス』小田島雄志訳)

私はこのシェークスピアのセリフ、あえて言えば左右を問わず「マスコミ批判」としても読めるように思えてなりません。(もちろん私への自戒の言葉でもあります)

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