「つくる会」文科省検定について 坂本龍馬の大政奉還への貢献を全否定せよというのか?

文科省検定の問題で、坂本龍馬の件について。つくる会教科書の「土佐藩を通じて徳川慶喜に大政奉還をはたらきかけたともいわれます」という記述について「生徒が誤解する恐れのある表現である」ということで否定されています。

確かに、坂本龍馬については、司馬遼太郎の名作「竜馬がゆく」の影響が強く、さらにそれを補強するさまざまなドラマや漫画も作られたため、フィクションと史実が混同されている面もあることは事実です。しかし、フィクションを廃するために、今度は龍馬の実績まで不当に矮小化してしまうのも誤りでしょう。

その意味では、町田明広著「新説 坂本龍馬」(集英社)が私にとはとても説得力のある本でした。本書では、龍馬の虚像は否定するとともに、これまではあまり知られてこなかった龍馬の功績については一次資料に基づいて評価するという公正な姿勢を示しています(また、原資料では判断できないところは「私の推測では」と断りをつけています)

特に、龍馬の「脱藩」が、従来の私のイメージとは全く違うものであったことは衝撃を受けました。そして、薩長同盟に大きな役割を果たした近藤長次郎の業績も私は本書で初めて知ることができました(彼を主人公に小説やドラマが作れそうなほど、この人は先駆性と交渉能力を持っています。ぜひこの過小評価されていえる志士を知るためにも本書を読んでほしいし、きっと龍馬もそれを望むのではないかと思います)

その意味で、大政奉還に対する龍馬の役割も、過大評価は勿論いけませんが、正当な評価はすべきでしょう。龍馬は実は薩長同盟以上に、むしろ薩摩と土佐藩の同盟に大きな役割を果たしており、これが大政奉還に道を開いたことは確実です。

そして、本書で取り上げられている「大条理」プランは、大政奉還のもととなった政治プランですが、後藤象二郎はこれをベースに土佐及び薩摩の要人を説得しています。町田氏は、後藤がこの案の説得の際龍馬の同行を求めていることや龍馬の様々な言動から、この案は龍馬の発案によるものと判断しています(このプランは1867年、海援隊日史に書かれているものです)

「大条理」プランは、次のようなものでした。

「国体(大政委任)を糾して、永遠に世界中に恥じることのない国にすることを第一目標とし、王政復古を実現し、朝廷からも幕府からも命令が出される政令二途の状態を改め、朝廷のみから政令が出されることとする。その上で、将軍は辞職して諸侯の列に戻る」(町田氏著書228頁、これは要約ですが、原文はとても格調が高いので是非お手に取ってみてください)

そして、これはつくる会も指摘している資料ですが、慶喜が大政奉還を受け入れる直前の交渉に臨む後藤に対し、龍馬は以下の内容の書簡を送っています。

「(大政奉還の)建白が不採用の場合は決死の覚悟であり、後藤の下城がなければ城中で後藤が討ち死にしたと察し、将軍が参内するのを待ちうけ、国家のために海援隊が仇を討つ。成否にかかわらず、自分も死ぬ覚悟であり、あの世で再会しよう。万が一後藤の失策により大政奉還の実現という、天下の最重要な機会を失った場合は、その罪は許されず、そうなれば薩長両藩が龍馬も厳しく攻め立てることは間違いなく、どうして生きておられようか」(同253頁)

ここまで強く後藤に「プレッシャー」を懸けている文章を読めば、龍馬が大政奉還に大きくかかわっていること、少なくともこの教科書記述の「土佐藩を通じて徳川慶喜に大政奉還を働きかけた」ことを否定する理由はないはずです。龍馬の虚像を否定するのはいい。しかし、彼の功績まで抹消することに何か意味があるのでしょうか。

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