「上海陸戦隊」上映会へのご参加ありがとうございました

昨日は、東京新風倶楽部主催の「上海陸戦隊」上映にご参加下った皆さま、また、関心を持って拡散などしてくださった皆様、誠にありがとうございました。かなり寒い気候の中、15名ほどの方が参加してくださいました。

この「上海陸戦隊」を上映したかったのは、原節子という女優を少し多角的に見てほしかったという思いもあります。彼女がなくなった時、日本映画史に残る偉大な女優として讃えられたのは勿論何ら異論はなかったのですが、私の見たり読んだりした限り、彼女の作品としては、戦後の小津安二郎との作品ばかりが取り上げられる傾向があったように思います。小津の偉大さは私ごときが今更言うまでもないのですが、それだけが原節子ではないはず。そもそも、彼女はデビューしたのは戦前、1935年のことなのですから。

原節子が映画界に入ったのは、この「上海陸戦隊」を監督した義兄、熊谷久虎の影響が大きかったようです。そしてこの作品で、原節子は中国人避難民の女性を演じ、最初のうちは、日本軍が渡そうとする食糧を拒否し、受け取ろうとする避難民女性たちを「そんな敵のものを受け取っちゃいけない」と激高するかたくなな姿を演じています。

彼女の中国語はともかく、このシーンでの激情は、それ以前も以後も原節子は演じることはなかったのではないでしょうか。その彼女が、次第に日本軍の優しさに目覚め、兵士の無事を祈るようになり、そっと最期の突撃を見守るシーンなどは、戦前の原節子の演技のなかでも優れたもののように思えました。

原節子の戦前出演の映画のうち、私が見たことがあるのは「新しい土」「ハワイ・マレー沖海戦」「決戦の大空へ」「望楼の決死隊」そして本作です。すべてDVDで見たものですが、やはり家のビデオやパソコンではなく、それなりのスクリーンと音量で見ると、戦前や戦時下の雰囲気が伝わってくるような気もします。映画としての批評はここでは控えますが、映画が公開された1939年、昭和14年と言えば、この映画の舞台である上海事変からまだ2年後。当時の観客がどのような思いでこの作品を観ていたのかを想像するのも意義深いことではないでしょうか。

なお、監督の熊谷は、原節子と共に30年代のドイツやアメリカを旅し、その地での有色人種へのひどい差別を肌身で体験、帰国後は「スメラ塾」という神秘主義的な日本主義の団体に参加していきます。しかし、作家がイデオロギーや政治に走れば作品としての完成度は落ちていくことが多く、この「上海陸戦隊」が熊谷としては最後の成功作で、以後やはり原節子を出演させた「指導物語」は失敗に終わりました。

その後は映画よりも政治運動、思想運動に身を置くようになりましたが、敗戦後は戦争協力者として批判を受け、ほとんど沈黙を守りつつ隠遁生活を送り、80年代に亡くなりました。彼は戦後の原節子の活躍をどう見ていたのか、そのことだけは書き残してほしかった気もしますが、逆に、沈黙のうちに去ることこそふさわしいと思っていたのかもしれません。

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