宮崎正弘先生に拙著「ドストエフスキーの戦争論」への書評を頂きました

しばらくブログの調子が悪くてコメントできなかったのですが、このブログを作ってくださった方に直していただきました。感謝いたします。

宮崎正弘先生に、メルマガにて拙著「ドストエフスキーの戦争論」への書評を頂きました。過大な評価にむしろ恐縮するばかりですが、書評部分のみ転載させていただきます。

「宮崎正弘の国際情勢解題」

令和元年(2019)11月24日(日曜日)

第9号(通巻6284号)

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文豪・ドストエフスキーは戦争を「賛美」した?!
ロシア文学の「博愛、平和主義」と対極の位置にいた謎に迫る

三浦小太郎『ドストエフスキーの戦争論』(萬書房)
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文豪ドストエフスキーの作品群のなかに読書人にもあまり知られていない傑作がある。其れは『作家の日記』である。邦訳はちくま文庫に全六巻で収録されている。

ドストエススキーは自ら民衆蜂起に参加し、死刑判決を受けて銃殺直前、恩赦となってシベリアに四年、重労働をやらされた過酷な経験がある。それゆえ内乱も蜂起も戦争も、ナロードニキもボルシェヴィキも、革命家の欺瞞も体内に経験則を宿すのだ。
『作家の日記』のなかでドストエフスキーは、トルストイの理想論的平和論を徹底して批判している。日本の批評家の多くは、このドストエフスキーの真意を咀嚼できぬまま、殆ど軽視もしくは無視してきた。
ドストエフスキーは短絡的に平和主義者をなじり、戦争を賛美したのではない。
振り返れば、日本の知識人にはトルストイの影響のほうが甚大かつ宏大だった。いや、トルストイの影響はインドのガンディにも、そして米国にキング牧師にも巨大な影響を与えている。
日本におけるトルストイの影響は社会主義者とキリスト教徒が主であり、徳富蘇峰の実弟、徳富蘆花はトルストイに会いにロシアへ行った。内村鑑三もトルストイに傾斜し、白樺文学運動も『戦争と平和』の理想論を語ったものだ。
トルストイの代表作『戦争と平和』はいまも米川正夫ほか数名が翻訳しており、文学全集にも収録されているが、何しろ登場人物が五百を超える群像小説でもあり、ナポレオン戦争の渦中にあって人間の欲望と信仰を描く長編である。
日本人の感性に受けるからだろう。
かく言う評者も、原作を読んで映画(ハリウッド版、ヘップバーン主演)も見た。

▼戦後日本における平和主義の欺瞞性がここに語られている

日本の戦争文学は特異な形で存在する。

終戦まで、日本文学における戦争とは美しく散ることであり、滅亡の美学だった。
一転して、戦後文学は反戦小説ばかりで、『麦と兵隊』などを例外として、『レイテ戦姫』や『人間の条件』などがある。しかし歴史的には『太平記』『吾妻鑑』『平家物語』など、戦史というより人間の哀切さ、悲惨さをえぐる歴史物語が日本文学の特徴である。『古事記』における戦争の描写は浪漫的ですらある。
近代になって石原莞爾は『世界最終戦論』を書いたが、戦前の知識人らの所論を読むと、多くの思想基盤に共通性があり、どことなく似ている。つまり「八紘一宇」の世界である。
戦後、日本ではドストエフスキーが異常に読まれるようになった。
主に左派知識人が論じた。どちらかと言えば、ドストエフスキーは民族主義的愛国者であり、決して革命家でもない。にもかかわらず日本の戦後の左翼知識人が持て囃したのは不思議な話である。
つまり皇帝を倒した民衆蜂起を呼びかけたのがドストエフスキーだったという一方的な解釈からで、浅薄な論理の横行、ま、それはいつの世にも変わらないか。

さて、本書である。

三浦小太郎氏は、このところ意欲作を次々とものにされ、注目されている書き手だが、本書は徹頭徹尾、埋もれてきた『作家の日記』に焦点を宛てている。
ドストエフスキーのトルストイ批判は、目の前で虐殺、暴政が展開されているのに、ひたすら祷り、嘆くだけでよいのか、平和主義なら暴力を回避できるのか、という問いかけだった。日本の乙女の祈りに似た平和団体の唱える念仏を批判したことと同義だろう。
三浦氏はこう言う。
「戦後日本における平和主義の欺瞞性がここに語られているような錯覚を覚えてしまう。すくなくとも日本における平和主義には、その建前はどうあれ、世界のさまざまな戦争や虐殺、さらには人権弾圧に対し、平和主義の立場からどう対峙するか、それをいかにやめさせるかという深刻な問いに目を閉ざす傾向があった」(22p)。
いまもそうではないか。
暴力国家の全体主義の弾圧に呻吟し、横暴な暴政に不満を爆発させて立ち上がった香港の若者に対して、日本の左翼は一片の同情も支援も行っていないように。ウィグルやチベットに於ける中国共産党の暴政と虐殺に、平和主義理想論者は、なにか行動を起こしたのか?
米英の核実験には反対しても、中国やソ連の核実験委は沈黙した。北朝鮮の核の挑発にも口をつぐんだ。それが戦後の日本の左翼である。視野狭窄のイデオロギーは堕落している。
三浦氏はさらに続ける。
「美しき理想の平和主義社会を実現しようとすれば、トルストイがキリスト教に読み取った厳格な戒律による、すべての民衆への絶対的な精神への管理・支配が行わなければ
ならないだろう。トルストイの理想社会では、この美しい言葉に反する精神は生き延びることを許されない。(中略)ドストエフスキーは、あらゆる『理想社会』
を求める思想運動は、理性によってすべてが支配されている社会、すべての民衆が、一人ずつその精神を『改造』され、理性的、合理的にしか生きられない、人間の自由が社会法則によって完全に抑圧される社会の確立にいきつくのだとみなし、それをしばしば『蟻塚の思想』と呼んだ。
ドストエフスキーが共産主義を目指す社会運動を否定し、近代の進歩主義や合理主義の危険性を誰よりも深く批判した」(27p-28p)

▼ドン・キホーテ、ジョルジュ・サンド、そしてプーシキン

当時の時代背景としてロシア皇帝の権威が崩れかけ、露土戦争ではスラブの同胞を救えとしてトルコと戦争を始めたが、劣勢が続いていた。帝国の軍隊が弛緩していた。

ドストエフスキーにとっての戦争目的はコンスタンティノープルの回復にあった。
そこに「黒いイエズス会」の陰謀があった、とドストエフスキーは秘密結社の幻覚を見た。ユダヤの陰謀論に似た「黒いイエズス会陰謀論」は、やがて「戦闘的カソリシズム」に置き換えられる。
ドストエフスキーは予言する。独仏戦争が引き金を引き、中東をも巻き込む大戦争がおこる、と。
「カトリックと反カトリックの戦争は不可避であり、戦いが始めるやいなや、たちまちのうちに全ヨーロッパを巻き込む大戦争になるだろう」(172p)。その通りになった。 しかも不幸なことに、ロシアには逆
の運命が待っていた。
すなわち「皇帝幻想を捨て、ボルシェヴィキは共産主義独裁権力のもとに地上にユートピアを創ろうとした」。
だがスターリンは新型の「ロシア皇帝」に過ぎず、民衆は呻吟と困窮を再現し、「ドストエフスキーの予言は悲劇的な形で外れ、その夢を悪夢に代えた」(173p)。

晩年のドストエフスキーはドン・キホーテとジョルジュ・サンドに熱中し、評価した。

近代人の認識における自由とは「財産を有しているか否かによってのみ保証される『金銭の奴隷状態』にすぎない」のであって、道義も平等も失われる。ここで三浦氏は西郷隆盛の道義国家建設としての西南戦争の悲劇を、ドストエフスキーとの近似を、ドン・キホーテを通して見つめなおす。

またジョルジュ・サンドが田舎娘の悲喜劇を描いた『ジャンヌ』を高く評価して惜しまなかった。

ジョルジュ・サンドと言えば恋多き奔放な女流作家として知られ、男爵夫人というより「ショパンの愛人」,「男装の麗人」のほうが有名だが、晩年に書いたのがジャンヌ・ダルクの名前からとった『ジャンヌ』だった。
フランス人の心の原点ともいえるジャンヌ・ダルクは普遍的であり、その名前から、羊飼いの田舎娘をモデルに、その無垢、その妖精信仰、まわりの男たちの俗物根性と近代化意識との激しい乖離を描いたのだ。
背景にあるのは古代ケルト以来の自然信仰と輪廻転生なのである。
これらをカトリックは邪教として否定した。欧州は古代ケルト文明のうえに成り立っているというのに。
ドストエフスキーはロシアの民衆の信仰が、古代ケルト文明の伝統を引く自然信仰と輪廻にあるとした娘ジャンヌ、そして近代化を信じる新世代との思想の戦い、近代化幻想も行きつく先は全体主義国家への転落にあると見抜いていた。(216p-220p)。
ドストエフスキーは、この文化的宗教的表現に大いに共鳴した。

最期にドストエフスキーはプーシキンについて感動的な講演をしている。死の二年前、いってみれば彼の文学論人生論の集大成であった。

ロシアへ行くと大きな都市にはプーシキン記念館がある。
いやロシアばかりか、評者が旅したウクライナのオデッサにも、モルドバのキシニューにもあった。ロシア語圏を超えて世界に親しまれたプーシキンが、ロシアの魂を代表するからだろう。
プーシキンはロシア知識人を代弁し、反政府政治運動に携わり、皇帝から疎まれて、モルドバとオデッサに島流しとなったのであり、キシニューのプーシキン記念館はこじんまりとした庭もあって、書斎も再現されていた。評者が訪ねたのは三年ほど前のことだから、依然として職員から庭番もいる記念館を管理している事実は、その背景にある人気の高さを想像させずにはおかない。
モスクワのプーシキン美術館はエミルタージュとならぶ巨大な美術博物館だ。そしてプーシキンは決闘に敗れて死ぬ。波乱にとんだ逸話に満ちた人でもあり、ロシア近代文学の父とも言われる。
ドストエフスキーは、プーシキンを「肉親のような愛情をこめてその民衆と結合したロシアの作家」と称賛したのだった。
重厚な思想の趣きが漂う本である。
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