映画「授業料」に関する李英一(映画評論家)の言葉

昨日上映した、日本統治下の朝鮮映画「授業料」(1940)について、ある韓国人映画評論家の言葉を紹介します。

「この映画は小学校に通うスヨンの貧しい生活と、美しい心を描いている。スヨン少年にとって、最も辛い日は、学校で授業料を治める日である。担任の先生が『授業料を持って来なかったものは立て』と言うと、肩をすくめて毎度のように立たねばならない。家は食べることすら難しいほどの貧困に喘いでいる。」

「父と母は真鍮の箸と匙を作って売る商売をしているが、いつも遠い地方へ行商に旅立ち何カ月も家に戻ってこない。少年は70歳を過ぎた祖母と暮らしている。授業料を払えず、食べ物にもありつけないときは、大声で叫びたいほど両親が懐かしい。身体の悪い祖母を思って寂しさにたえる少年の姿が実に哀れだ。」

「私は小学校3年生の時に、中国の天津でこの映画を観た。幼かった私は『授業料』を見て、主人公の少年が悲惨なまでに貧しい暮らしを営む姿に涙を流した。そして涙を流す一方で憤りがこみ上げてくるのを抑えることができなかった。」

「このころから私は映画が大好きだった。天津にあるいろいろな劇場に行っては、中国映画、日本映画、西洋映画をよく見た。少年時代に私が好んでみたものが活劇調の娯楽映画だったせいか、『授業料』を見て私が抱いた憤りは、朝鮮映画はなぜこんなに悲惨なんだろう、なぜこんなに泣かせるのか、という思いから来るものだった。しかし半世紀が過ぎた今、『授業料』が鮮明に残してくれた映像の記憶は、限りなく美しいものである。」(映画評論家李英一の文章、『日本統治下の朝鮮シネマ群像』下川正晴著 弦書房 より)

この言葉もとても味わい深いもので、「生活は悲惨なのに、映像は限りなく美しい」というこの映画の本質をよく表しています。この映画の背後にある様々な時代状況は、ぜひ下川氏の著書に当たられてください。

しかし、この映画が、1938年に書かれた朝鮮半島の小学生の作文を原作にしていたことは、時代の証言としての価値を一層高めています。もちろん、映画化にあたって内容は多少美化されてはいますが、まさに当時の時代状況をリアルに伝えるものになっています。こういう映画の上映会はまたいつか企画したいと思います。まず、昨日ご参加くださった皆様、まことにありがとうございました。

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