「あいちトリエンナーレ2019」内の企画展「表現の不自由展・その後」について(1)展示会の中止という重大問題

「あいちトリエンナーレ2019」内の企画展「表現の不自由展・その後」については、正論編集部の安藤慶太さん(大変お世話になってます)のフェースブックに大体言いたいことは書かせていただきましたのでここでは繰り返しません。何せ私は観に行っていないしたぶん永久にこの展示会という形では見ることはできないだろうから、本格的な批評も批判もできない。ただ、ここでは、自戒の意を込めて、二つだけ書いておきます。

(1)例えばもし、私がかなり政治的にも過激なテーマの展示会を開催したとしますよ。そして、タブーなく、この問題についてどんな表現でもいいからと言って作品を集め、個人を侮辱したものが来てもそれを許可して展示会を開会したとしましょう。

これも仮定の上ですが、これに対し「一方的な、かつ政治的な展示会を税金を使って公共行事でやるとは何事だ」という猛抗議やら脅迫やらが来て、おびえた私が、3日間で、作品を提供してくださった方々に一切相談することなく展示会を中止にしたと致しましょう。

その日から、もう私は「作品を提供してくださった方にあまりにも申し訳なく、また、お気持ちを傷つけた方々にも合わせる顔がありません。」と宣言して、パソコンも閉じますし携帯も電源切ります。家からも出ないで三食出前取りますね。ただ、最低限のお詫びや事務はしなければならないから弁護士を頼んで連絡はそちらを通じます。たぶん、筆も折って、一人で黙々と世に出すことのない文章を書くことはあっても、世の中に発表することは申し訳なくてできないですね。下手をしたら違約金の支払いとかで首つらなければいけないかもしれません。

これは大げさな話じゃないんです。特に私が良心的だとか責任感があるとかじゃない。人の作品を扱って世に出すというのは、それくらい責任が重いことなんですよ。その作品の質ははっきり言えば問題じゃないんです。

今回の問題になった作品は、ネットで見た限りでは、私は「作品」のレベルとは思えないです。しかしそんなことは関係ない。とにかく、2カ月展示すると約束して預かった以上、連絡もなく展示を中止するというのはルール違反以前に、津田氏も表現者ならば、表現者として失格と言われてもしょうがないことなんですよ。そして、大村知事が最終責任者なら、知事も、もう今後任期中は、愛知県が他県や個人から作品を借り受ける権利を失ったくらいのことです。

私は基本的に、世間から批判されている方を自分も一緒に石を投げるようなことはしたくないんです(除く朝鮮総連)。しかし、今回、作品を批判する以前に、たとえ契約上は個々人と契約を結んでいなかった(津田氏はそう説明しているのでそれは前提としましょう)からと言って、製作者、表現者と連絡なく展示を中止したことの問題って半端でなく大きいことです。

これから書くことは多少ご無礼かもしれませんが、津田氏が、この展示会を本当に大切だと思って、各作品を愛していたら、絶対に作品提供者に連絡なく中止にはできないです。単に、作品は自分の政治的な意見や、ジャーナリストとしての「問題提起」(という名の「炎上商法」)の道具に使ったのではないか、と疑われても仕方がないんですよ。

もう一つの点、作品自体の問題点や、後ある種の悪しき「サブカル乗り」と「庶民蔑視」の問題については、明日書かせていただきます。ただ一つだけ申しますと、私も原稿や企画ずいぶん没になります。でもそれは言論の自由の問題ではなく、「私の文章がつまらなかった」か「寄稿した掲載誌にとって、編集方針に合わず、かつ営業上プラスにならないと判断した」か、もしくはその両方かのいずれかです。それ以上でもそれ以下でもありません。

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