小川寛大氏の味わい深い文章を紹介します「原爆 アメリカ」

雑誌「宗教問題」を編集しておられる小川寛大氏の文章を紹介します
実は私も個人的にアメリカ人と似たような体験があるのですが、この小川氏の文章はとても味わい深いものだと思う。実は小田実氏も初期の傑作「何でも見てやろう」のなかで、これに近い体験を記しています(そちらはどちらかと言えばリベラル派の学生、知識人を前にしたものですが)。

小田は1950年代末留学した時、アメリカ人の前で、万葉集などの古典に自分なりの英訳をつけて朗読した。おおむね好評だった後に、原爆についての日本の詩人の作品を英訳して朗読しました。坐は静まり返り、もちろん反発もありましたが、その夜一人のアメリカ人が訪ねてきて「自分は個人として広島について謝罪したい」と述べたと言います。(ついでながらこの本におけるみずみずしい感性を小田氏はその後失ってしまい、政治図式にはまり込んでいった)

これも個人的なことですが、私は靖国神社へも、韓国人とも、また脱北者の人とも行ったことがある。無理やりではなく、本人が行きたい、どんな所か見てみたいといったからで、私も余計な説明は付けずに案内しました。

私は人間は分かり合えるなどとは全く思わない。しかし、だからこそ、人間は過去の歴史を(それが国のものであれ個人のものであれ)断罪しても何も得ることはない。反省と断罪は断じて違うし、他者に「反省」「謝罪」を強いることも、自虐的に他者の前でことさらに過去を貶めることも、同じように奴隷根性だと私は思っています。

私はそれほど日本を自慢する方ではないのですが、日本のことわざのなかで「罪を憎んで人を憎まず」という言葉ほど美しいものは世界に中々ないと信じています。この言葉と聖書の「汝ら人を裁くな、裁かれざらんためなり」という言葉、この二つは人間が過去を見る上で決して忘れてはならない言葉ではないでしょうか(まあ、自分がそうできるかどうかと言えば難しいんですけど)

まあ私の言葉より下記の小川氏の文章をどうぞ。後、小川氏も中心となっている「全日本南北戦争合同フォーラム」の機関誌が発行されます。私も雑文を寄稿しておりますのでどうかご一読をよろしくお願いします。

【原爆、アメリカ】

 4年前の春のことである。私はアメリカの中西部、いわゆる「トランプ王国」の本場のような場所を観光で旅した。目的はイリノイ州スプリングフィールドにある、エイブラハム・リンカーンの墓を詣でることだった。
 ある大変な田舎の町で、私は土地の南北戦争史愛好家の方々と歓談する機会を得た。もちろん土地柄が土地柄だから、皆さん「私はFOXテレビしか見ないんだ」などと豪語する、ゴリゴリの保守派である。ただまあ、場の話題はリンカーンほか南北戦争史に関することで、私のつたない英語も笑って許してくれながら、とても楽しいひとときを過ごした。
 会話の終わりごろ、一人の男性が私にこう問うた。
「お前は俺たちの国の歴史にやたら詳しいなあ。遠くから来て滅茶苦茶大した奴だ。日本では南北戦争史の人気が高いのか?」
 私は笑って返した。
「いや、ほとんどの日本人は関心ありませんよ。でも、古い世代の左翼が意外に好きで、Japanese Communist PartyのBig Bossであるミスター・フワは日本を代表するリンカーン・マニアだ。まあ、マルクス気取りってやつですよ」
 私がそう答えると、場は大爆笑となった。リンカーンとカール・マルクスは同時代人で、マルクスは南北戦争を奴隷解放、人種平等、つまり貧者の富者に対する階級闘争と見てリンカーンを熱烈に支持し、当時彼が滞在していたイギリスからアメリカに、北軍を激励する手紙も送っている。もっとも、リンカーン自身は社会主義というものが何なのかよくわかっておらず、自身が海外のおかしな政治勢力に利用されることを警戒して、努めて社交儀礼程度の対応しかしなかった。この「マルクスの一方的なリンカーン愛」は南北戦争史愛好家の間ではよく知られた話で、現代日本のコミュニストさえそんな風なのかと、場のアメリカン保守の皆様方は笑いの声を上げたわけである。
 私も笑いながら、続けて言った
「ああ、そういえばヒロシマ・シティーの元市長で、ソーシャリストのミスター・アキバという人物もリンカーン好きですよ」
 当然また、場は爆笑すると思った。しかし次の瞬間、場は逆に静まり返った。少し間をおいて、一人がばつの悪そうに言った。
「……悪いな。そのヒロシマという町を俺は知らない」
 私はそれに対し、まったく深い考えもなく、軽くこう返した。
「え、そうなんですか。昔、世界で最初にアトミック・ボムが落ちた町です」
 場はますます静まり返り、「俺、もう用事があるんだ」と三々五々、人は帰りはじめ、そこでお開きのようなことになってしまった。
 私もよく分からないままその場を辞し、その集まりに連れて行ってもらった人と、その日の宿へ向かった。その途上、その人が本当に涙をポタポタと垂らしながら、私にこう言ってきたのである。
「許してくれ、カンダイ。原爆は本当にいけないことだった。アメリカはたくさんの過ちを犯してきた国だ。でも、本当にそれを申し訳ないと思いながら、少しずつみんなでがんばっているんだ」
 私は原爆投下とは戦争犯罪なのかとか、アメリカの第2次大戦時の行動の是非とか、そんなことを念頭に置いて「ヒロシマ」の名を出したわけではまったくなく、逆に面食らって、何と返していいのか分からなかった。突然のことに戸惑いながら、「私は第2次大戦終結後、30年以上もたって生まれた人間で、かつ広島や長崎の出身者でもなく、あなたたちの前で被害者のような顔をする資格はない。また、戦争に正義も悪もない。当時の日本もアメリカも、それぞれにいいところ、悪いところがあった。確かに戦争の中では悲惨なことが起こるが、それは当時の関係者が、当時の限られた状況の中で、彼らなりによくも悪くもベストを尽くした結果である。それはそれこそ南北戦争史を学んでいけば、誰もが到達する一つの結論だと思う。反省は必要だろうが、後世からの安易な断罪は誰も必要としていない。少なくとも私にそんな風に謝るのはやめてほしい」というようなことを何とか語ったことを覚えている。
 繰り返すが、この話が起きた現場はカリフォルニアやニューヨークといったインテリ・リベラルの牙城ではなく、保守の本場、トランプ旋風の中心地、中西部である。よくこの季節になると、「アメリカとは夜郎自大な国家で、日本への原爆投下のことなんか何も悪く思っていない。そういう傲慢な気風は、トランプ登場でますます強くなっている」というような発言が、日本の「論客」とされるような立場の人たちからしばしば上がってくる。しかし私は4年前、以上のような経験をして、それはかなり違うのではないかと思っている。月並みではあるのだけど、やはりわれわれは圧倒的に相互理解、本気の交流が足りない。アメリカでさえそうなのだから、中東だのアフリカだのになれば、その断絶はいかほどなのだろう。とにかく人と話をすることは大切だ。
 世界が平和でありますように。それを空念仏とせず、われわれの一人一人が、それに向かって誠実に歩めますように。

2019年8月9日

小川 寛大
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