勝田吉太郎氏がお亡くなりになりました。かってに「弟子」を名乗る一人として追悼いたします

勝田吉太郎氏が91歳で亡くなられました。日本有数のアナーキズム研究家であり、かつ政治的には民社党に近い立場。ロシア近代政治思想について、1960年代に体系的な著作をまとめ、このテーマではいまだにこの方の研究を総合的に超えた方はいないと思います。私が数日前にこのフェースブックにアップしたホミャーコフの言葉も勝田氏の本からの孫引きでした。

私が「諸君!」という雑誌にものを書かせていただいた時、編集の方から、何かやりたい企画はありませんかと言われ、いきなり思いついたのが勝田氏にインタビューさせてほしいということで、それが結構簡単に実現し、勝田氏のおられる京都に向かいました。今だから書けるのですが、正直相当緊張していまして、新幹線内でチューハイを何本か飲んで出かけたことを覚えています。

インタビューは二度させていただき、こちらの無礼な質問にもきちんと誠実に答えてくださいました。すでにご高齢で、白内障とのことで目を悪くされていたのですが、頭脳は全く衰えていませんでした。そのインタビューが雑誌に載り、やがて勝田氏の晩年の著作に収められた時は、多少誇らしい思いになったものです。

勝田氏の共産主義批判、ソ連批判は、マルクスの思想そのものに肉薄したもので、その視点は保守主義以上に、マルクスに当時異論を唱えたアナーキストたちや、ドストエフスキーなどロシア文学の思想に裏打ちされていました。カトリックが「解放の神学」などの影響を受けて左傾化した時点で、宗教思想の面から直ちに批判的な考察をされたのも勝田氏でした。

「私も大いに影響を受けました」と本当は書きたいのですが、はっきり言って私の書くものはとても勝田氏の者とは比べようがないほど低いものですので、そういう言葉は非礼でしょう。

本は読んでいたものの、勝田氏を初めてテレビで拝見したのは、ソ連崩壊直前の朝まで生テレビでした。あの放送は同番組でも傑作だったと思うのですが、客先に参加していたロシアの留学生が、ソ連や共産党の歴史をどう思うか、とアナウンサーに聴かれたとき、一人の学生がこう答えました。

「私たちはドストエフスキーの言葉も知っています、どんな美しい目的や理想のためにも、その実現のた目に一人の少女が涙を流すような犠牲を強いられるなら、その目的や理想は絶対にやめた方がいい。そして、ソ連では、一人の少女の涙どころか、何百万、何千万の血が(共産主義支配によって)流されたんです」

この言葉を聞きながら、勝田氏が、本当にその通りだ、というかのようにうなづかれていたときの温かい表情は、今も忘れることができません。

そして、パネラーとして出席していた日本共産党の和解代議士が、例によって「ソ連はよくないが共産主義の理想は素晴らしい云々」といった主張をしたとき、勝田氏がこの時はただちに、ユーモアを交えて答えました。

「あなたたち日本共産党は、まだ権力を取ったことがないでしょう。だから、ソ連や中国の共産党を、上から目線で『自分たちならもっと素晴らしい共産主義社会を作れる』というんだけど、それはまだ結婚していない若者が、自分の両親やほかの夫婦を『愛情がないじゃないか、形式的だ、退屈な夫婦生活だ』と、いくらでも悪く言えますよ。それと同じで、まだ実生活をしていない若者のゆめみたいなものなんですよ」

これには、いつも出席しているいわゆるリベラル派の方々(下村満子とか高野孟とか)がみんな笑ってそうだそうだ、と言っていたのも面白かった。でも逆に、共産主義の本当の恐ろしさを勝田氏が知っていたからこそ言える言葉だと思います。善意と正義感で、世の中をよくしたい、貧しい人たちを助けようと信じた人たちが起こした共産主義革命が、現実には、最も恐ろしい収容所と粛清の体制になる。それが20世紀の人類への最大の教訓でした。

私が勝田氏と行ったインタビューは「蘇るドストエフスキーの世紀」(ミネルヴァ書房)に収録されています。もしよろしければ手に取ってみてください。今後私が書いていくものが、少しでも勝田氏の学恩に(勝手に弟子のつもりになってますが)報いるもののようになるよう努力していきたいと思います。

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