権利についてあまりに多くを語るな。また、そのように語る人に耳を傾けるな(19世紀ロシアの思想家の言葉)

今、諸事情あって、というか仕事の都合で、19世紀ロシアのスラブ主義者と言われた人の思想を調べているんですけど、なかなかいい言葉があったのでここで紹介します。

「権利についてあまりに多くを語るな。また、そのように語る人に耳を傾けるな。むしろ、義務について語る人に傾聴せよ。けだし、義務こそが権利の唯一の源泉だからである。」

「自分自身の権利の意識は、強力な人間(社会的強者;三浦)にとっては何ものも意味しない。それは、単に彼の意欲を合法化するに過ぎないのだ。この意識は、弱い人間(社会的弱者)にとっても、同様に無意味である。なぜと言って、彼は無力だからである。」

「しかし、義務の意識は強者を拘束する一方、弱者の権利を造出し、それを聖化するであろう。利己心は、権利について語る。他方、同胞愛は義務の上に宿る。」

これはホミャーコフという19世紀ロシアの思想家で、子供のころから裕福な貴族の家に育ち、フランス語、ドイツ語、英語、ラテン語まで勉強して西欧にも何度も赴いたのですが、その結果「西欧近代の自由民主主義は、無神論や拝金主義につながる危険性があり、社会においても権利や自由があまりに強調され、ロシアの古き良き宗教伝統や共同体を壊してしまう」という考えにたどり着きました。

この文章とか、今は下手をすると差別的だとか、社会的弱者に冷淡だとか絶対言われると思うだけど、なんか結構問題の本質をついていると思うんだけどなあ。

ホミャーコフは晩年、ロシア帝国政府と国民の「傲慢さ」を批判しました。その趣旨は次の通りです

ロシアは大国となったが、それによって「傲慢」になり「神への感謝と謙譲の心を失った」「軍隊を増強し、国家収入を増大し、他国民を威嚇し、時に不正な手段によって自己の領土を拡張すること、それが我々の欲求となった」ロシアが、トルコとのクリミア戦争に敗れたのは正しい神の罰である。「我が国の矯正のために我らを懲らしめた神に感謝を捧げよう。今や我々は、自己欺瞞の卑しさを知った。」「疑いもなく、物質的な力を誇ることは、知的傲慢や精神的慢心よりも、より一層卑しむべきことなのだ」

以上は、勝田吉太郎氏の著書「近代ロシア政治思想史」からの引用ですが、今の大国の政治家がちょっとこういう精神を持ってくれると、もう少し世界はよくなるような気がする・・

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