「ドリトル先生」も差別文学?

中学3年生のころ、私が熱狂的に読んだのが(受験勉強の合間に呼んだので結構時期も覚えています)動物と話ができるお医者さん、ドリトル先生の物語でした。ある意味相当影響された本の一つと言ってもいいほど。しかし、この本、今では「差別的な表現」を持つものとして批判されたり避けられたりすることがあるらしい。

この本を書いたのはロフティングというイギリスの作家で、第一次世界大戦時、負傷した兵士たちは手厚い看護を受けられても、軍馬は殺されるだけだった(まあ、やむおえないんだろうけど)ことを目の当たりにしたことが、動物も人間も共に愛し、しかも動物の言葉を語るお医者さんの物語を書きたいと思うきっかけになったようです。

ドそして「ドリトル先生アフリカ行き」が1920年に出版され、大好評を博しますが、たしかにこれはドリトル先生シリーズの開始を告げる名作。冒頭の第一章だけでも素晴らしい短編になりうるほどよくできています。名医であるにもかかわらず、人間も動物も「差別」せず治療し、ついには変人扱いされて妹も逃げ出し、患者さんも来なくなってしまうのですが、町の子供たちだけは先生を尊敬していた、というくだりがとても印象的。

ただ同時に、やはりロフティングも時代の子として、ヒューマニストではあったけど、アフリカ人に対し偏見があったことも事実。ドリトル先生は、サルたちの病気を治すためにアフリカに行きますが、そこで出会う黒人の王は戯画的に描かれていますし、黒人の王子は、白人の恋人に好かれるために、自分の顔の色を白くしたくてたまりません。

こういった表現は、確かに、現代の視点で見れば問題があるでしょう。しかし、1960年代の黒人運動家のマルコムXでさえ、政治的に目覚めるまでは、自分の縮れた髪の毛を白人のように長くしようと薬品を塗り付けていた。今の視点でそれは間違っているというのは解説にきちんと書けばいいことで、ロフティングの原作をいじるべきではない。

そうでないと、黒人の王様に捕まったドリトル先生の脱出劇そのものの魅力も失われてしまう。ドリトル先生の一行は黒人の王国に捕らわれますが、そこで王子の顔を薬品で白く変えて、そのお礼に逃がしてもらいます。しかし、差別的だというので(まあ確かにそうかもしれないけど)この部分は、アメリカなどでは「王子に先生の飼っているオウムが催眠術をかけて操った」といった内容に変えられ、日本でも一部の出版社は其のバージョンを使って訳していますが、私は立ち読みで確認したけどどうにも原作を冒とくしているとしか思えません。

以上のような「差別表現」がどうしても気にかかる人は、子供には『航海記』から読ませればいい。ドリトル先生は、チャールズ・ダーウィンよりも、インディアンの自然科学者の方をはるかに尊敬し、彼のエコロジー的な自然薬に敬意を表しています。

でも、感動的な『航海記』でも、ある意味ドリトル先生は、未開人に対して「偉大なる啓蒙君主」としてふるまっていることも事実。でも、それを差別として読むか、或いは歴史や人間の複雑さとして読むかは読者次第。ロフティングの作品は、素直な読者を差別に導くはずはない。むしろ、人間は様々な矛盾や愚かさを越えて、きっと理解し合える時が来る、という希望を与えてくれるはず 。

「アフリカ行き」を差別的だ、改変しろという圧力は日本でもあった。「ちびくろサンボ」を絶版にせよという運動をしたのと確か同じ団体。しかし、岩波書店はこれを拒否、今でも原作のまま出版し巻末に解説を付けている。岩波もこういう堂々とした姿勢を取ることもあるのだから、北朝鮮や総連にたいしても同じようにふるまってほしいものです。

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