「平成」のどこが平和な時代だったのだろう

平成の御代から令和へ。いろいろと思うことはあるのですが、今はあまり語らないほうがいいようにも思えます。ただ、このような寿ぐべき時に申し上げるのは本当に場違いなのですが、ただ一つだけ。

あまりテレビも見なかったのですが、「平成という時代、災害はあったけれど、戦争もない平和な時代で・・・」という言葉が、国民個々人にもマスコミにもいくつか流れたような気がします。

これはどうしても私の実感とは違うんです。確かに、大東亜戦争を体験した昭和に比すれば、日本人にとってはそうかもしれない。しかし私の記憶に基づく実感では、平成という時代は、ベルリンの壁とソ連崩壊、そして天安門事件という、私がそれまで全く想像もしていなかった大事件から始まりました。

さらに湾岸戦争は、日本が「海のかなたの戦争も他人ごとではなく、日本の国益や政治的立場とダイレクトに結びつくものなのだ」という現実を突きつけました。そしてカンボジアPKOとそこでの犠牲(これは皮肉でもなんでもなく言うのですけど、あの時のPKO反対運動に参加した方は、なぜ現在のPKOには抗議しないのかな)、その時の犠牲者の父上の堂々とした態度は今も強い印象で残っています。

そして、個人的に一番衝撃的だった事件は、オウム真理教という宗教団体が引き起こした地下鉄サリン事件。あれはある意味「内戦」と言ってもおかしくないくらいの事態だったと思う。

そして、「新しい歴史教科書をつくる会」による「戦後民主主義史観」への問題提起。もちろん個々の優れた思想家はすでに行っていたことかもしれないけど、大衆的な形で戦後の歴史観が見直されるようになったのはやはりこの平成時代でした。

そして、この動きからは色々な立場の言論が出現し、少なくとも戦後の公的な場での言論を支配してきた、単純な日本悪玉史観が国民レベルで否定されたことは確かでした。朝日新聞が吉田証言の誤報を認めたことも、この運動なくしてはあり得なかったと私は信じます(なにも手伝ってないけどね)

もう一つ、これも大きく国民意識を変えたのは(小泉首相をどう評価するかは別として)小泉訪朝と拉致被害者5名の帰国。そして、それが問題解決どころか、拉致問題の本質、戦後日本国が主権も国民の生命も守る努力を怠ってきたこと、様々な戦後言論のおかしさ、テロ国家北朝鮮や朝鮮総連への認識の甘さなどを一気に露呈させてしまったこと。そしてこの拉致問題が、平成の時代に解決できなかったというこの現実。これほど日本という国家の問題点を突き付けられたことはない。

また、おそらく若い世代の方にとっては、大震災後の民主党政権の混迷、さらには尖閣列島をめぐる漁船の衝突事件と、その映像の一色正晴氏による公開などが大きなインパクトを与えたようにも思えます。そして、少なくとも私の周囲だけに限れば、北京オリンピック前の、チベット民衆決起と、長野における聖火リレー抗議運動、そこで現れた大量の「中国人留学生」との対峙が、政治やアジアの問題に目覚めるきっかけになったという人に何人も出会いました。

まあ、以上のような感覚は、災害に直面せず、多少北朝鮮問題にかかわってきた私個人の偏見かもしれませんが、平成が「平和」な時代だったとはどうしても思えない。そのことだけは書いておきたかったので記しておきます。

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One Response to “「平成」のどこが平和な時代だったのだろう”

  1. Kazu Emu より:
    本日、先生が述べられた事柄は、メディアではほとんど触れられず、ごく限られた人のみが現実の事として言及しているのみですね。本ブログのご指摘こそ、新時代の幕開けに、国民がこぞって考察すべき事のように感じます。
    確かに、先帝陛下は昨年、『平成が、戦争のない時代として終わろうとしている事に、心から安堵しています。』と、仰せになられました。畏れながら、私は、その御言葉だけは、我が身に抵抗なく入って来ませんでした。
    自分の気持ちとして、数週間前からこの節目にこそ、聴きたい曲が有ったのですが、陛下の先のお言葉を思い返して、少々の我慢を自らに強いたうえで、リヒヤルト・シュトラウスの【メタモルフォーゼン】を今朝漸く聴きました。
    色々な音楽のジャンルの懸け橋となった、と三浦先生も仰られ、その死を悼んでいらした、アンドレ・プレヴィン氏が、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団を指揮した、リヒヤルト・シュトラウスの【メタモルフォーゼン】を。

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