上野顕太郎の「帽子男」は今も人との出会いを求めて走り続けている

上野顕太郎の漫画「帽子男」(ビームコミックス)を購入、90年代を疾走したこの素晴らしい作品に再会した。

勿論ファンもいるのだしコンスタントに作品を発表しているのだけど、私は上野顕太郎は、まだあまりにも知られていない漫画家だと思う。もっともっとたくさんの人に読まれてほしいし、ある意味、彼のギャグマンガとしての本質が最もよく表れた作品として、ぜひこの「帽子男」を読んでほしい。そして、万が一未読なら「さよならもいわずに」と併読を。ギャグマンガと、ある意味「純文学マンガ」をここまでかき分けられる人はそんなにいないはずだ

ただ、後半部(かって「帽子男の子守歌」として発表された部分)が、前半部に比べて、アイデアも絵も全く同じ優れたものなのに、どこか魅力が減っているように思えるときもある。何度か読み直し、その理由は、逃亡する帽子男の恋人(?)であり共に並走する美女(性格は帽子男とほとんどおんなじ)の登場シーンがやや減ったからではないかと思った。ボケと突っ込みではないが、彼女とのやり取り(もしくは帽子男の勝手な妄想)がこの漫画の面白さの重要な要因だったのだ。そこに、若くして亡くなった妻への深い思いを私小説的につづった「さよならもいわずに」をどこか思い起こさせるものを感じた

だからこそ逆に後半部でも、子供を捨てようとする母親との会話で成り立っている「帽子男の子守歌」、父兄参観の学校に紛れ込み、小学生(中々利発)の父親の代わりを演じる「父兄参観の帽子男」はやはり素晴らしい。帽子男はハードボイルドに見えて「孤独が似合う男」ではなく、それがただ一度の行きずりであっても全力で相手と向き合っているヒューマニストなのだ。あとがきで作者は語っている「(帽子男は今も)走り続けているに違いない」それは追手から逃げているだけではない、人と出会うために走り続けているのだ。

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