「日本が困難なとき万葉集がはやる」(??)何か違うような気がするが

「日本が困難な時、万葉集がはやる」 令和は歴史的転換(朝日新聞4月1日記事)

磯田 日本史で何度も繰り返されてきたことだが、海の向こうに強い他国が現れると、国家意識が高まる。幕末のペリー来航時には非常に国学が流行した。いま中国の台頭があって、やはり日本ということを強く意識している。今回の転換に関して言えば、日本古典だけを典拠とした元号ではなく、日本と中国の両方の典拠を持つ元号を提示してもよかったのではと思う。日本文化を発見すると同時に、国境を越えた漢字文化圏の存在にも気づけるからだ。国益にもかなうと思う。

 辰巳 歴史的に、日本が困難な状況になると万葉集がはやる。鎌倉時代もそうだったし、明治には正岡子規が万葉集に帰った。

https://digital.asahi.com/articles/ASM3Y7524M3YULZU027.html?fbclid=IwAR1HvHvAq7uu2I3rdsNjp1yOTvZQZS7hDxhbmTJh-EqZkv1dZxchLuhSu8c

この記事、全体としては興味深いこともいろいろ言っているんですけど、時々妙に現実政治と無理に結びつけようとするので不自然で誤解を招きかねないものになっています。特に表題がちょっとひどい、まあ編集部がつけるんでしょうが、この題名は誤解を招きます。

有料記事なので内容をすぐ見れない方も多いと思いますが、参加者の一人が、まあ多分ちょっと思い付き的に「歴史的に、日本が困難な状況になると万葉集がはやる。鎌倉時代もそうだったし、明治には正岡子規が万葉集に帰った。」と語ったことがこの表題になっています。ちょっとこれ乱暴すぎるでしょ(笑)

鎌倉時代、僧侶の仙覚が、万葉集全体を校本、そして注釈を行ったことは事実。その意味で仙覚の業績は偉大。鎌倉時代が、鎌倉仏教の復興をはじめとする文化的発展の時代だったことも事実。ただ、それが「日本が困難なとき」だから起きたのだ、というのはちょっと無理がある。鎌倉時代の「日本の困難」を元寇とするなら、その時にはもう仙覚は亡くなっている。そもそも鎌倉時代「万葉がはやる」ような現象があったかどうかもわからないし。

後、明治には確かに子規が万葉への回帰を唱えましたけど、それも単純に「日本の困難」だからというのも違うのではないですかね。それだったらむしろ、日中戦争、大東亜戦争時期、まさに「困難」どころか、危機のさなかに万葉集や日本の古典がどう読まれたかを堂々と論じたほうがはるかにいい。

日本浪漫派の保田輿重郎は「万葉集の精神」を書き、小林秀雄は戦争中「無常といふ事」で古典世界を描いた。太宰治は「実朝」を描いた。いずれも、今も読まれるべき、古典との深い対話の上に成立した本だと思う。

また、文学を愛する兵士の中には、大東亜戦争時、万葉集を携えて戦場に向かった人はいたはず。その時代、「防人歌」がどんな思いで読まれたかは、私たちが深く考えるに値することだと思う。今、山本五十六に対してはいろいろ批判が強くなっているけど、そのことはまた別にして、私個人は彼のこの歌には心をうたれるものがあります。

大君の御楯とたゞに思ふ身は名をも命も惜しまざらなむ

勿論、この元歌は万葉集の防人の歌。

今日よりは 顧(かへり)みなくて 大君の 醜(しこ)の御楯と 出で立つ吾は

余計なことを言うようですが、この山本五十六の歌は、昭和16年11月30日付の朝日新聞に掲載されたようです。私たちにとって古典とは「日本が困難なとき万葉集がはやる」というような単純なものではない。単なるナショナリズムでもない。もう少し大切なものではないかと思う。

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One Response to “「日本が困難なとき万葉集がはやる」(??)何か違うような気がするが”

  1. Kazu Emu より:
    この発言者、辰巳正明氏は、國學院大学の名誉教授であり、この新聞社の意図に沿う発言を軽々に行ったとは思えない部分はありますね。 また、都合のよい切り貼りを行ったのかも知れません。 朝日新聞も、いい加減に『それにつけても、安倍の憎さよ』ばかりに呆けている場合か。 『みな人の 見るにいぶみに 世の中の あとなしごとは 書かずもあらなむ』 明治大帝の、明治38年の御歌の御意を噛みしめよ。

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