批判的書評 王何著 「多民族国家 中国」岩波新書

「多民族国家」という名で正当化される中国共産党権力構造
批判的書評 王何著 「多民族国家 中国」岩波新書  
 
コンパクトだが問題の多い記述

 岩波新書としてこの3月発売された本書は、コンパクトな中国民族問題の解説書として、多くの人々の手に取られる事であろう。だが、その内容は、基本的に民族独立運動を過小評価もしくは批判し、中華人民共和国の改革解放以降の民族政策を肯定する方向で述べられ、かつ誤解を招きかねない記述が散見する。

 本稿は頁数も限られているため、特に目に付いた点のみを挙げる。まず、本書は第1章「『中華』と異民族」では、中国の歴史が本質的に、周辺民族と漢民族との混合(それも自発的な周辺民族の民族移動や、逆に漢民族の周辺への人的、文化的伝播)によって発展してきたことに触れ、中国が本質的に多民族国家としての文化的、歴史的包容力を持っている事を語る。第2章の「漢民族国家という幻想」では、新帝国の統治を例に、中国を漢民族国家として捉える視点を出切るだけ相対化しようとする視点が見られる。これらはむしろ著者の良心的な一面を示すものであろう。

 しかし、ここから少しずつ、著者の論には矛盾が現れてくる。今現在中国で評価されている民族論は、先月号の拙文「東トルキスタン憲法を読む」で引用したように、民族学者であり、かつ全国人民代表会議常務委員という重要な政治的地位にある費孝通のものである。彼は、「漢民族自体が歴史的に中国領域で生きてきた諸民族の接触、混合、融合の複雑なプロセスを経て生まれた『中華民族の凝集的核心』であり」「中国領域内に住む諸民族はその形成は多元的だが一体を形成し、『中華民族多元一体の構造』」にあるとする。つまり、中国国内の各民族は、融合、混合を繰り返し、漢族を中心とした一体の「中華民族」とみなされるのだ。実はこの思想は、清朝打倒を目指した孫文、その後の国民党の姿勢と決して遠いものではなく、一見狭い民族主義を乗り越えているかに見えて、実は絶対多数の漢民族への従属を正当化するものである。

この思考に対し、本書は直接触れてはいないが、孫文や国民党の「中華民族論」について、著者は「中華」という概念で全ての民族を均質化する事を批判し、孫文や国民党の姿勢が最終的には少数民族の漢民族への同化を強制する、悪しき「一民族一国家」論に行き着かざるを得ないと批判する。この批判そのものは正当であろうが、同時に、著者はこの自ら批判する思想が、現在の中華人民共和国で、有力な学者・政治的権威者によって堂々と主張され、影響を有していることに何故触れようとしないのだろうか?これは単に一学説の無視という問題だけではない。以下の章で次第に明らかになる、著者の根本的な中国現政権への姿勢の現れである。

自治は認めても民族自決権は認められない

第3章「『少数民族』の空間」にて、著者は中国共産党が少数民族の自治を国民党とは比較にならないほど認め、各民族を尊重してきたかを強調している。特に少数民族文化を尊重した実例として、毛沢東の一九五〇年の発言「少数民族地域の風俗慣習に対する改革は必要であるが、しかしこのような改革は少数民族自体の手でやらなければならない」を引用し、民族の文化や伝統を認めた上での漸進的な改革を進め、同時に衛生、医療システム、貿易ネットワークなどの整備を行った事を功績としてあげている。

建国直後から五〇年代前半まで、中国政府が民族問題について気を配って穏健な政策が採られた時期も確かに存在する。しかし、共産党内でも、権力奪取以前は、ソ連型の「連邦国家」案の形で民族の自決権や高度な自治権を認める国家体制も議論されていたが、権力奪取後は、このような発想は完全に放棄された。重要なのは、「民族自決」「民族独立」権が中華人民共和国では建国後原則的に否定されたことである。これは毛利和子氏の「周縁からの中国」(東京大学出版会)によれば、周恩来、李維漢らの主張が認められた結果のようだ。周恩来の言葉は、彼ら中国共産党首脳部の意志をよく表している。おそらく現在の中国政府の意志もこれとほぼ等しいものと思われる。

「我々は民族の自治を主張する。だが帝国主義が民族問題を利用して中国の統一を離間しようとするのをどうしても防がなければならない。どんな民族にも自決権がある。この点は疑いを入れない。だが今帝国主義者がわがチベット、台湾、ひいては新疆を分裂させようとしている情況で、諸民族が帝国主義者の挑発に乗らないように願いたい。この点から、わが国の名称は中華人民共和国とし、連邦とはしないのである。」 さらに、李維漢は六一年の段階では民族自決権を明確に否定、満州、蒙疆自治、大トルコ主義、台湾独立などを否定している。 この根本姿勢がある限り、仮に一時的に各民族への穏健政策が取られたところで、中央政策がそれを変換し過激な政策を実行すればひとたまりもない民族弾圧が生じるのだ。その好例がチベットや東トルキスタンである事は疑いを入れない。しかし、現実の少数民族運動への著者の姿勢は、まさにこの周恩来的な思考に殆ど同一である。その実例を幾つか挙げてみよう。

 まず、チベット問題について、著者は、1959年のチベット民衆決起についてこう述べる。「チベット族に対して民族区域自治を実施することは、中共の最初からの既定方針と考えられる。(中略)1956年4月、ダライ・ラマ14世を委員長、パンチェン・ラマ10世を第1副委員長、解放軍のチベット軍区司令官を第2副委員長とする『チベット自治区準備委員会』が設立された。(中略)ところが、自治区の成立が伝統的社会制度の廃止に繋がる危険を感じ、ダライ・ラマを初めとする旧上層部が反乱を起こした。中国政府が反乱を鎮圧して、1965年9月1日、チベット自治区が設立された」(81ページ)

 著者は、中国が民族自決権を否定したことについては殆ど触れず、またチベット民衆の中国軍への抵抗については、全て旧勢力の反乱として取らえている。この時期のチベットの歴史と悲劇については論じないが、引用した「周縁からの中国」には、中国のチベット侵略の実態が中立の立場から極めて克明に述べられており、著者の記述が以下にその実態を過少に描いているかを明らかにしている。そして、あえて極論を言えば、仮に旧チベット伝統社会に欠点があったにしても(同時にそこにはたぐい稀な精神的魅力もあった事は、前号の書評「私のチベット」をお読みいただきたい)そこに中国政府が強引に「自治区」として侵略する資格はないのだという視点はどこにも見られない。一九四五年の第2次世界大戦の終結は、帝国主義の時代を歴史的に過去のものとしたはずだし、何よりも西欧列強、また日本の「侵略」に抗する事を事故の正当化にしていた中国政府が、一九五〇年の北朝鮮による韓国侵略と並び、いち早く世界に新たな侵略行為の歴史を刻みつけたことはどのような視点からも正当化されないはずだ。

民族独立運動は「国際政治」に利用されただけ?

 そして、モンゴルの独立運動について著者は次のように指摘する。一九四五年八月、日本の敗戦によって政治的空白区となった内モンゴルで幾つもの独立運動が発生し、将来的に外モンゴル(モンゴル人民共和国)との統一をも視野に含む運動に発展した(東モンゴル人民自治政府)。しかし、彼らが期待を賭けたソ連、外モンゴル政府が中国との妥協から独立運動を支持せず、東モンゴル人民自治政府は解散し、中国の支配下に入ったと述べた上で、次の結論を導く。

「近代国民国家の理論は、事実上民族の独立を煽り、一民族一国家という国家体制に正当性を与えるシステムである。そのため、中国の近代史上で民族が独立して自分の民族国家を建設する動きがあっても不思議なことではなかった。しかしそれと同時に指摘すべきは、その多くの場合、民族独立運動が大国政治の道具にされてきたという事実であった。そして、国民国家の理論を唱えてきた欧米諸国は、事実上いずれも多民族国家のままなのである」(140ページ)

 モンゴルの独立運動がソ連や外モンゴルの影響を受けていた事は確かだし、また特にソ連が、中国(当時中華民国)に外モンゴルことモンゴル人民共和国の承認を認めさせる見返りに、東トルキスタンや内モンゴルの独立運動を見捨てたことも事実である。しかし、この場合、どう見ても犠牲者は内モンゴル独立運動であって、「大国」の政治利用や傲慢さを言うのならば、独立運動を踏みにじった点では中国政府もまた同罪であろう。そして、独立運動を大国が利用するのと全く同じように、独立運動側も、圧倒的に強大な中国政府の圧力を撥ね退けるためには、諸外国や国際世論を味方につけるべく努力するのは戦略上当然のことではないか。それを理由に全ての独立運動が国際社会の中国批判に利用され扇動されているかのごとく説くのは、先の周恩来の発言に見るような、民族独立が帝国主義国の策謀や侵略と同一視される視点と紙一重である。

 さらに、著者は八〇年代以降のチベット運動に対しても、これをアメリカを中心とした国際社会の、対中国「カード」に利用されているものと見なす。
「87年9月に、(アメリカは)ダライ・ラマ14世に国会で講演させ、88年には彼に人権賞を与えた。火に油を注ぐようなアメリカのやり方は、沈静化してきたチベット独立運動を煽り、1987年と89年のチベット独立を訴えるラマ僧による暴動の一因となった」(142ページ)

 ここでの「ラマ僧」という言葉は少なくともチベット仏教を理解する人ならば今はあまり使わない言葉だと思うが、それはそれでよい。この80年代末の決起を、中国の学者は一様に一部のチベット僧侶だけのものであったと見なしたがるようだが、まずチベットのような海外の情報の伝わりにくい地域で、まず亡命政府と交流のある僧侶達から様々な国内外の情報が伝わり、その中の特に意識の高い人々から行動が始まる事は当然だ。そして、今現在中国国家主席である胡錦檮によって戒厳令が敷かれ、多くの人々が公開裁判で屈辱的な取り扱いを受け、さらに民衆の怒りを引き起こした事にも多少は触れなければ不公平ではないか。そして、ダライ・ラマ法王のノーベル平和賞受賞には何故ここで触れないのか?

さらに同書では、ダライ・ラマ法王とチベット政府の側が中国との対話を断ち切ったとし、国外からの影響で中国に圧力をかけようという法王の姿勢を批判しているが、これが的外れの批判である事は、今現在に至るまで、「高度な自治権」という形で中国側に妥協しながら、実質的な平和交渉によるチベットを含む民族問題の解決を訴える法王の姿勢を見れば誰にも明らかなことであろう(また、本書では、パンチェン・ラマが終始一貫して中国政府を支持していたという記述があるが、六十年代初期に中国のチベット統治を激しく批判した「七万語宣言」や、この最晩年の八九年、ダライ・ラマ法王を評価し、中国の政策を批判した発言に一言も触れないのも不当である)。かつ、難民条約や世界人権宣言などの、世界がこれからの規範として進もうとしている理想に反する、現代中国の民族政策が国際世論から批判されるのは当然のことである。「民族自決権」を承認せよという基本的な要請を「国際政治のカード」としか見ない姿勢は正当化されるはずもない。

同時に、本書では実は、経済成長が少数民族にも利益をもたらしていること、また民族独立運動は少数派の主張に過ぎない事は強調されるが、何故か中国の民主化についてはほとんど触れる所がない。そもそも民族独立運動が少数派か否かは、民族自決権が原則的に承認され、かつ言論の自由と複数政党による選挙が行われて初めて判定できる物ではないのか?この部分における著者の沈黙は、逆に問題の根底を明らかにしている。中国に民族自決権と民主主義が実現し、その結果緩やかな連邦制がもたらされること、これが中国共産党にとって最も避けたい事態であり、現在行われている民族政策は、中国政府の認める範囲の「自治」の範囲を超える政治的権利を一切他民族には認めないという、やはり事実上、漢民族・共産党体制(そしてそれを承認する他民族の一部共産党員)による民族支配構造なのだ。

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