3月9日、江東映像文化振興事業団上映会「明治大帝と日露大戦争」

江東映像文化振興事業団の映画上映会を下記予定で行います。

「明治大帝と日露大戦争」上映会

明治天皇と日露戦争をテーマにした歴史映画。新東宝社長大蔵貢の原案から渡辺邦男が原作を書き、主演は嵐寛寿郎、「ほか、天城竜太鄭、田崎潤、宇津井健、中山昭二、高島忠夫、小笠原竜三郎、藤田進、江川宇禮雄、阿部九洲男、沼田曜一など、新東宝オールスター・キャスト。

作品完成後に行われた試写会は、ときの皇太子(現今上天皇)も閲覧した。公開されるや空前絶後の記録的な大ヒット映画となった。

新東宝の上映館は数が少なかったため、松竹映配に依頼して上映館を増やしたが、都内では新宿オデヲン座、池袋・文芸座、目黒ライオン劇場といった2流、3流の映画館ばかりでの上映だった。それが映画興行史上の大記録を打ち立てたのである。上映した全ての映画館はすし詰めの超満員となった。客席ぐるりをラッシュアワー並の立ち見客が囲み、中央通路や最前列前の通路まで隙間なく床に座る観客、ロビーにまで人があふれ、上映が始まってもドアが閉められないほどだった。戦前の日本と日本人の姿がそのまま再現された映画であり、進駐軍の占領を経て戦前の日本と手を切ったはずの民衆に衝撃を与えた。

観客動員数は2000万人、「日本人の5人に1人が観た」と言われ、日本の映画興行史上の大記録を打ち立てた

日時 3月9日 午後3時開場 3時半開会

参加費 無料
場所 TKPスター貸会議室市ヶ谷
   東京都千代田区九段南4-7-22 メゾン・ド・シャルー201
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One Response to “3月9日、江東映像文化振興事業団上映会「明治大帝と日露大戦争」”

  1. 中尾 晃 より:
    ブログを時々しかチェック出来ておらず、失礼しております。今朝程、通勤中に三浦さんのブログを読み、『明治天皇と日露大戦争』の上映会が予定されている事を知りました。凄くタイムリーだったというか、ちょうど私も一昨日の日曜日にに知人から頂いたその映画のスタンダード版を鑑賞したところでした。さて、嵐寛寿郎の明治天皇役、なかなか説得力ある重鎮さでした。政治家に辞職はあっても天皇には辞職はないぞ、と仰せられた明治天皇。真夏の旅順総攻撃で出した一万数千の戦死者報告名簿を眺めながら、部隊によっては加藤や山田という苗字が多いなと仰せられたという明治天皇。陛下におかれては暫く御避暑されては如何でしょうか、との上申に対して「伊藤、現地の兵士達に避暑はあるか」と仰せられて御自身の避暑を辞退された明治天皇。8月31日の皇太子殿下(悼辞の大正天皇)御誕生日を祝い東を向きながら果てて逝った二百三高地の兵士が印象的でした。自身に対する生々しい更迭論が渦巻く中で兵士達と同じ食事をする乃木将軍の様子や、乃木更迭案を却下された明治天皇が難攻不落の旅順陥落後、二人の息子を戦士させた乃木将軍への労いにも心に残るシーンです。また、敵とはいえ関東防衛軍管区の司令官として旅順要塞の指揮を取ったロシア陸軍ステッセルに対する労いの言葉も発せられた明治天皇の武士道精神も注目すべきシーンでした。最後の最後まで和平の可能性を探ろうとされた明治天皇が、やむなく始まってしまった戦の途中からは4000万日本国民の為に何がなんでも勝たねばならんぞ、の御言葉に全国民を背負う重い重い使命感と責任感が伝わって来ました。日本海軍がバルチック艦隊を破った後、「むかしより たのしまれなる戦に おほくの人を うしなひしかな」と詠われる明治天皇のシーンで映画はクロージングされますが、当時いかにロシアの南下政策に日本が戦々恐々としていたかが改めてよくわかったような気がしました。御前会議の張り詰めた空気、国交断絶、仁川上陸、旅順港封鎖、黄海大海戦、二百三高地、奉天入城、日本海海戦、大勝利の提灯行列、、最後の最後まで息をつく事が出来ませんでした。
    戦争映画を他人事として捉えていた自分が恥ずかしい思いで一杯になるこのタイミングで鑑賞したわけですが、私自身の祖父が日露戦争に出兵していたという事を聞きかじっていたので今更ながら祖父の軍歴を調べようと兵庫県健康福祉部、厚生労働省、公益財団法人偕行社、神戸新聞社、兵庫県立図書館、神戸市立中央図書館、等々にコンタクトし始めた矢先だったので余計にそう感じた次第です。

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