月刊北國アクタス掲載の寺越友枝さんインタビュー

月刊北國アクタスという雑誌(北國新聞社発行)の2019年2月号に、寺越友枝さん(北朝鮮に拉致された寺越武志さんの母上)のインタビュー記事が掲載されています。そこから、武志さんが2002年10月3日、日本に「一時帰国」した時のことを語っている部分を引用させていただきます。なお、この2日後の10月5日に、拉致被害者5名が日本に帰国しました。

「武志には何とか、自分が生まれた国である日本の地面を踏ませてやりたかったから、一時帰国が実現した時は本当にうれしかった。親戚や同級生らと再会できたし、祖母の墓参りもしたし、石川県で過ごした6日間は、武志にとって、充実した日だったやろうね。」

しかし、武志さんは同月12日には、再び北朝鮮に戻らねばなりませんでした。

「ただ武志は、北朝鮮の労働組合『朝鮮職業総同盟』訪日団の副団長『金英治』として、あくまで朝鮮総連が受け皿の一時帰国やった。武志が北朝鮮に戻った3日後、5人の拉致被害者が帰国した時の、国を挙げての歓迎ぶりをテレビで見た時は、さすがに悲しみがこみ上げてきたわ。」

「武志が北朝鮮に戻る時、心の中は武志を引き留めたい思いでいっぱいやった。でも、それが無理やということもわかっとった。もし私が武志を日本に戻さなかったら(拉致被害者の)5人は帰ってこれんかもしれんし、北朝鮮にいる武志の家族がどうなるかもわからんからね。」

「昔は家族会の活動に加わっとったけど、武志が一時帰国した時『お母さん、家族会に入って僕のことを拉致と言えば、家族の縁が切れて逢えなくなりますよ』と言ったんや。」

「そもそも武志は北朝鮮に来た経緯について、最初から話そうとはせんかった。(1987年、北朝鮮を訪問した友枝さんが武志と再会した時も)再会してしばらく後に、平壌のホテルで武志と一緒の布団で横になって『お前、つらいことあるんやろ。全部、話せいや。』と聞いてんけど、武志は何も言わんかった。」

「私にも言えないことがあるんやな、つらいんやろうなと思って、頭や手足をさすってやりながら、泣くことしかできんかった。」

「それから何度聞いても、武志は『北朝鮮の漁船に助けられた。俺は眠っとって、ようわからん」と言うんや。武志が拉致じゃないという以上、私が拉致問題にかかわることはできん。武志には『お母さんはもう何も聞かんぞ』とだけ言って、もう聞くことはやめたわ。」(日朝間で揺れた母子の55年 寺越友枝さん ロングインタビュー より)

友枝さんは昨年4月の訪朝を最後に、もう北朝鮮に行くことはないと決意しています。年齢も87歳になり、今同居している長女の家族にもこれ以上負担をかけるわけにはいかないという思いでしょう。残された望みを友枝さんはこう語っています。

「私が骨になったら、誰かにお願いして、武志に少し骨を渡してほしいと考えとるんや。骨になったら、武志に抱かれてずっと一緒におりたい。それが今、一番の願いやね」

貴重な写真も掲載されております。本紙をお読みになりたい方は、(株)北國新聞社 電話0762603587 fax0762603423 まで連絡してみてください。俵孝太郎さんが連載しているのも懐かしく読みました。

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