南の島のマリア(上坂冬子) ある韓国人女医の物語

作家の上坂冬子氏の著書に「南の島のマリア」(文藝春秋)があります。
沖縄は本土復帰以前から、医師不足に悩んでいました。1974年から1991年まで、韓国人医師が沖縄の徳に離島にわたり、そこで医療活動を行ったことは、今ではあまり知られていないでしょう。本書冒頭の表題作は、その中の一人の女医の悲劇的な事件を扱ったものです。

もちろん日本国である沖縄では、日本で医師免許を取得した人でない限り医療行為はできません。しかし、韓国には、大東亜戦争敗戦以前に、「日本国民」として医学部を卒業したお医者さんがまだいたのでした。15人のお医者さんが沖縄で医師として働くことになりました。

鄭寶玉(ていほうぎょく)女医は、そのような医師の一人で、彼女は当時60代初めでしたが、沖縄の東大東島に赴任しました、熱心なクリスチャンだった彼女は「皆が行きたがらないような辺境の地」にぜひ派遣してくれと求めたのです。ご家族(息子さんも医師です)は、もう老後をゆっくり過ごしてほしい、どうしても日本に行きたいとしても、もっと便利な土地に行けばいい、と母親を引き留めようとしましたが、女医は聞き入れませんでした。

女医は献身的に医療に尽くし、島の人々に愛されました。いつまでもこの島に住んでもらおうと、島役場の側も破格の給料を用意しました。女医はパーティでは鮮やかなチョゴリを着て、韓国料理を振る舞うなど、島の人々と楽しく接しましたが、沖縄には沖縄独自の信仰や伝統があるとして、自分のキリスト教を押し付けるようなことは一切しませんでした。

ところがこの女医は、1979年、沖縄の15歳の少年により殺害されてしまいます。この少年は、患者だと言って女医の部屋に入れてもらい、仮病だとわかって退出を求める女医に衝動的な暴力をふるい、死に至らしめたのでした。(女医の頬骨は折れ、頭には鈍器で殴られた傷があったとのことです)

少年の父はすぐれた音楽家でしたが、女性関係が激しく家庭は崩壊しており、少年も貧しく不幸な境遇にいましたが、それを考慮しても許されざる殺人事件です。少年も全く衝動的な行為だったと認めており、女医には何の問題も責任もありませんでした。国際問題になってもおかしくない事件です。しかし、女医の息子のユン正哲氏は、次のように当時の想いを上坂氏に語っています。

「母はおそらく何か使命をもって沖縄行きを決めたにちがいありません。あのようなことがなければ、今頃は沖縄だけでなく韓日両国のために役立つ仕事をしただろうと残念です。」

「犯人が15歳だったと聞いた時には耳を疑いました。当時、告訴して国際問題に広げろといった人もいて、そのたびに私は身構えたものです。母はそれを望んでいないでしょうし、私も告訴など好きではありませんから」

「沖縄県としてはできるだけの対処(告別式には東大東島の村長や、当時の沖縄副知事が出席し、女医への感謝と、自分たちの思いを述べました:三浦)をしてくれたと思っています。犯人を恨まなかったと言えば嘘になりますが、貧しい家庭の恵まれぬ環境で育った少年だと聞いてからは、その気持ちも薄れました。」

逆に、告別式を訪れた副知事や村長は、息子さんが何一つ攻めようとしないので、「かえって身の置き所がない」思いをしたといいます。韓国のマスコミからは、民族差別による事件ではないかという厳しい質問も出ましたが、当時は事実報道にとどまり、反日キャンペーンにはつながりませんでした。

本当はこういう歴史こそもう少し語り継がれてもいいと思うのですが、上坂氏のこの本も氏の作品の中ではあまり知られていないように思えたので、ここで紹介させていただきました。

You can leave a response, or trackback from your own site.

Leave a Reply

Subscribe to RSS Feed