小林秀雄に影響を与えた「乃木大将と日本人」

最近ちょっと必要があって乃木大将について調べていたのですが「乃木大将と日本人 (講談社学術文庫)」スタンレー・ウォシュバン から引用します。アメリカ人従軍記者が日露戦争の乃木大将について書いたこの本は、小林秀雄に深い感銘を与え、彼が乃木大将を「明治という時代の生んだもっとも純粋な精神」と評価するきっかけとなりました。

「乃木大将と日本人」から

一兵卒の戦死さえ、乃木大将は肉親の不幸として感ずる人である。ましてこの旅順口攻撃戦によって与えられた苦痛にいたっては、比ぶべきものもなかった。

かの第一回総攻撃のあった八月の一週間、乃木大将は常に前線に出ていた。こなたの丘に立ったかと思えば、また彼方の山に移る。そして部下の師団・旅団・連隊が、露軍の砲火を浴びて、さながら日光のもやみまも下に消ゆる霜のように、相次いで消えてゆくのを視守った。

しかもなお将軍は、毎日彼らに頑張らせて止まなかった。この計画は将軍自らの計画ではない。将軍はただその責任を負うたのだ。そして過去一千年の歴史にも、絶えて比類を見出せない、堅忍不抜のストイック的精神を発揮して、飽くことを知らぬ戦争の巨腹に充たしむるに、あたら日本男児の鮮血をもってしたのである。(中略)

「旅順口が陥落して、私たち幕僚が皆祝賀に耽っていると、いつの間にか閣下の姿が見えない。もう退席してしまわれたのだ。行って見ると、小舎の中の薄暗いランプの前に、両手で額を覆うて、独り腰かけて居られた。閣下の頬には涙が見えた。そして私を見るとこういわれた。今は喜んでいる時ではない、お互いにあんな大きな犠牲を払ったではないか」

将軍は一切を甘受して何らの不平もない。生を重んずるのはただ、忠義と尊敬とを集中するその対象に奉仕せんがためであった。乃木大将にとっては、天皇は日本帝国の権化であり、最後に生命を天皇に捧げるのは、すなわち、日本帝国に捧げることであった。将軍既に自己の事業の終れるを感じ、疾くにも平安静寂の境に入るべきであったとして、その機会を熱望していたのである。

かくのごとき理想を抱いたかくのごとき人物が、今日のこの時代に現存したことは、吾人西洋の生活に育てられたものの愕かずにはいられないことである。

偉大な人傑の生れ出て、位人臣を極めたり、大望を達したりすることはある。しかしその影には、何処となく自己中心思想の潜在することが多い。偉大なる愛国者の興起することもある。しかし満身ただ忠誠、個人的存在を没却して、純理想主義に立脚する点において、近世誰あってこの日本の古武士乃木大将に匹ちゅうすることができよう。古代ギリシアの勃興期においては、こうした人傑の輩出したこともある。しかしそれは全く環境を異にした時代の人々であったのだ。(引用終わり)

そして、以下の小林の文章は、この乃木大将に対する最も美しい評価ともいえるのではないかと思います。

小林秀雄「歴史と文学」から

「昔の人は人間を見る眼がお目出度かったなどとは飛んだ事で、心理の分析やら性格の解剖やらを知らなかった昔の人達の方が、却って人間をしっかりと掴んでいたに相違ないとさえ僕は考えます。尊敬や同情や共感や愛情によって人間を掴むより、観察によって人間を掴む方が、勿論鋭敏な事でもあるし確実な事であるという考えが、そもそも愚かな独断ではありませんか。」

「例えば、文化の進歩の一段階として封建時代というものがあったと考える。その時代の思想や道徳に、封建という言葉を冠せ、封建道徳、封建思想と呼びさえすれば、その時代の道徳や思想は理解し得るものと思い込む。」

「封建制度の下に「葉隠」の様な思想が生れたのは当然な事であるという。胡瓜の蔓に、胡瓜がなったという様な事を合点すれば、歴史というものはわかるものなのか。」

「第一、現代の歴史家が、封建主義という言葉から理解しているところは、徳川時代の人々には、何んの関係もない考えである。彼等は道徳を信じたのであり、封建道徳などというものを信じたのではありませぬ。封建制度は、人間の自由を拘束したという。だが、この拘束の下に、山本常朝が、どんなに驚くべき自由を掴んだかは、歴史家は見逃してよいのでしょうか。」

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