「中国と日本 二つの祖国を生きて」(小泉秋江著 集広舎)

「中国と日本 二つの祖国を生きて」(小泉秋江著 集広舎)は、読んでいて辛くなる本の一つですが、やはり貴重な歴史の記録と思います。

著者の小泉氏は、中国国民党の軍医だった父と、満州の日本人学校で先生を務めていた日本人の母との間に生まれました。大躍進の時代には餓死者が続出する現状にであい、文化大革命時代は、もちろん日本との関係を批判され、学校の倉庫に軟禁されたり、糾弾を受け「自己批判」を強制され、ついには下放されて、一時は自殺を図るほどに追い詰められます。

学校での「自己批判」強制とは、要するに「日本人の血を引いているのだから日本のスパイだ」と決めつけられ、ひたすら「日本人がいかに悪いことを中国人にしたか」を書かされる毎日でした。それも家に帰ることも出来ず、時々気まぐれに食べ物が与えられる学校倉庫の中で書かされるのです。しかし、10代初めの著者に、政治意識も何もさしてあるわけではなく、ひたすら、学校で覚えこまされた「反日教育」の知識を基に自己批判を書き続けるだけでした。

下放された農村では、慣れぬ農作業を強いられ、目の前で毛沢東を讃える歌を歌い損ねた少年が殴り殺される様を目にします。この少年は家が貧しかったのか、学校に行けず字がよく読めなかったので、うろ覚えで歌い、間違っていたため責められて殺されてしまったのでした。

著者自身も、この地でレイプされるという悲惨な体験をします。その時の著者の思いは、次のような絶望的なものでした。

「私は人間として扱われていない。それなのに私には、反抗し抗議することも許されていない。何をされても従順でなければならない。」

「村の人たちは、この人間には何をしてもよいと錯覚している。こちらが何でもハイハイと言うことをきくものだから、余計その錯覚を増長させてしまった。」

「私はもう、ここから一生抜けられない。これからもこんな生活を送るくらいなら、生きていても仕方がない、いっそ死んでしまおう、と思いました。」

奇跡的に助かって後、日中国交回復後、著者は母と共に日本に住むことができるようになりました。本書後半はその体験が記されており、様々な職に就きながら彼女が懸命に生きてきた記録ともなっています。貴重な記録本として紹介させていただきました。

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