「私は戦争に極力協力した。しかも便乗して協力したとはっきり言明しておく」(中野好夫 1945年11月の発言)

中野好夫という、知識人かつ英米文学の翻訳者がいました。ご存知の方も多いと思いますが、美濃部都知事のブレーンの一人であり、いわゆる戦後民主主義の典型的な「進歩派知識人」でもありました。ただ、私は敗戦直後に書いた中野のこの文章には、今も深く共感するものがあります。

「文化再建の首途に」という論考で、1945年11月に書かれたものです。(文章の順序など多少わかりやすいように変えました)

「私は占領軍最高司令部の前にはっきり言うが、私は戦争に極力協力した。しかも便乗して協力したとはっきり言明しておく。かって戦争中『私は便乗者だ。開戦直前までは私は実に平和に恋々たる人間であったが、開戦と共に戦争に便乗した。便乗でもなんでもよい。誰が便乗しないでいられるのか。』と書いたが、今でもこれを取り消そうなどと思わない。」(中略)

「私は文学者の良心と生命に欠けて言うが、戦争中傍観していたことがまるで美徳であり、協力したことが無良心だというようなヘボ理屈はどうしても分からん。いかにも自己弁護であるかもしれぬ。だが、この自己弁護は今後ともに臆面もなく押し通すつもりである」

「私の接する青年たちは、踵を返して(兵士に)召されていった。真に学問を愛し、美しい希望に燃えた、怪しからん話だが、縋り付いても留めておきたいような好青年も数多くいた。私自身が教えた身辺の学生だけからさえ、幾人もこうした好青年を亡き数に送ってしまったかしれない。特攻隊員になったものもいる。」

「私たちはこういう青年を愛惜すればこそ、ついに私自身一度も『聖戦』という言葉だけは口にする勇気のなかった戦争に、欣然と送り出していたのである。こうした経験を毎日のように繰り返してきた私たち、たとえそれは意気地なしと言われようと、良心裏切り者と言われようと、どうして戦争傍観者などになっていられようか。」

「青年たちが戦争に純真な精神を捧げつくしたこと、それは立派なことだと私は言いたい。むろん青年たちも複雑な苦悶を経験した。(中略)しかしその複雑微妙な気持ちを抱きながらも、ひたすら祖国の運命のために青春を捧げた。」【引用終わり)

この同じ論文で中野は、敗戦後すぐに、かって戦争中は沈黙していた「自由主義者」の老知識人たちが急に発言を始めたり、新しい文化運動の指導者になろうとすることを痛切に批判しています。この敗戦を招いたのは、あなたたちの世代があまりにも政治的にだらしなくて、これなら軍部のほうがまだましだと国民に思わせたことに大きな責任があるのではないか、という批判は本質をついていると思います。大東亜戦争開戦の日、あえてこの文章を紹介しました。

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