「黒南風の海」伊藤潤著(PHP) 加藤清正と金宦の対話には泣ける

実は韓国に行くために成田へ向かう電車と成田からの飛行機の中で読んでいたのが、歴史小説「黒南風の海」伊藤潤著(PHP)。加藤清正の朝鮮遠征をテーマにした小説で、いつか読もうと思って積読になってました。いや、実に面白かったので、歴史小説や加藤清正に興味のある方にはぜひお勧めします。

この小説の主人公は、沙也加という謎の武将。彼は文禄・慶長の役の際、加藤清正の配下として朝鮮にわたり、その後投降して朝鮮軍に加わり、火縄銃の技術を伝えて日本軍と戦った名将とされていますが、伝承ばかりで実態は謎。ただ、その点は興味のある方は本書を読んでもらうとして、むしろ魅力的に描かれているのは加藤清正と、彼に使えた李朝の官吏、金宦の姿。

清正が朝鮮に上陸、先に闘った小西行長軍が朝鮮民衆を虐殺したさまを見て語る部分。

「敵を恐れるものは味方でないものすべ絵を殺し尽くす。それは、心に怯えがあるからだ。怯えを無くせば、慈悲の心が生まれる。われらは義の旗を掲げ、慈悲の心により、この国の民を支配者から救う。弥九郎(行長)の進む先には、民の怨嗟の声が渦巻くが、われらの進む先には、歓喜の声が満ちるはずだ。」

実際に、清正軍は現地の朝鮮人協力者(朝鮮側からは裏切り者として「附逆」と呼ばれましたが)を得て、日本軍に恭順の意を示す農民には善政を施そうとしました。春に種もみを貸し付け、秋の収穫時に利子をつけて回収する制度を導入、奴隷状態だった朝鮮農民は勇んで工作に励み、朝鮮半島南部では一定の成果を上げていました。(釜山では、日本の風俗をまねた『お歯黒』『剃髪』まで現れたといいます。

しかし、そうはいっても長く続く戦争の中、次第に現地調達の必要性から来る民衆への収奪とそれによる叛乱、明軍の参戦による戦争の長期化、慣れぬ朝鮮半島の極寒の冬などに悩まされ、加藤清正も、この遠征の将来に不安を感じるようになっていきます。特に小西行長との対立、定まらぬ戦争方針、秀吉の気まぐれな命令などに悩まされ、戦争に疑問を抱き始めた清正が、朝鮮の王子を守って日本軍にとらえられた朝鮮人官吏、金宦に語る言葉です。

清正「無辜の民を殺すことは、わが本意ではない。この国の民がわしに従うなら、わしは一人たりとも殺したくない。金宦よ、わしは遠からず北上を開始せねばならぬ。しかし、幸福を望むものには危害を加えぬつもりだ。おぬしがわが軍の先に立ち、降伏を促せば、必ずや、どの都も宿駅にも、無血で入場が図れるはずだ。おぬしに、まことの附逆(日本軍への協力者)になってもらいたいのだ」

「おぬしの辛い気持ちはわかる。幾つもの偶然が重なり、こうした仕儀に相成ったのも同情する。しかしこの役をおぬしが拒めば、わしは敵と戦わねばならぬ。さすれば、また多くの民が命を失う。」

金宦「お供させていただきます。」

清正「それは本心から申しておるのか。附逆となれば、この戦が終わっても、この地に留まることはかなわぬ。それでもよいのか。」
金宦「たとえ永劫に汚名を着ようが、今、目の前で苦しむ民を救う事こそ、わが本意でございます。」
清正「そうか。後世、どのように語られようが、おのれの信じる道を行くものこそ真の勇者だ。金宦、おぬしこそ男の中の男だ。」

歴史小説ですから、もちろん史実というよりも著者の想像力のたまものですし、秀吉の描き方、朝鮮遠征の意味などはちょっと類型的すぎるところがあります。戦国時代にはあり得ぬ戦後平和主義のような言葉も出てくる。しかしそれほど不自然に感じないのは、出てくる人物がそれぞれ魅力的で、もしかしたら本当にこんな会話があったのではないかというリアリティが感じられること。

この金宦は日本に清正軍と共にわたり、勘定方(財務)を務め、日本人を妻に迎えました。しかし、最後まで日本名を名乗ることは拒否し、朝鮮人としての誇りを貫きました。清正が病死したのち、彼は殉死しています。

彼の墓は今も熊本の本妙寺にあります。熊本には一度しか言ったことがないのですが、また行く機会があればぜひ手を合わせに行こうかと考えています。

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