雑誌「宗教問題」2018年夏季号から紹介 「リベラルの中で保守を叫ぶカトリック信徒・野村勝美の軌跡」

発売中の「宗教問題」2018年夏季号に、中々考えさせられる記事が載っていたので紹介します。「リベラルの中で保守を叫ぶカトリック信徒・野村勝美の軌跡」という記事です。この方の次の言葉には大変共感しました。

「私は保守かと云われれば保守なんでしょう。しかし、カトリック教会の中で保守的な言説が広まるようなことは全く望んでいません。望んでいることはただ一つ、右であっても左であっても、『教会の中で、またカトリック教会関係の肩書を使って、あらゆる政治的な言説を流布することはやめてほしい。』ということです。」

「私の所属している教会でそのようなことはありませんが、中にはミサで政治的な演説をするような神父もいるんです。また教団上層部となると、しょっちゅう政治的な声明を出したりしている。」

「教会の信徒には様々な人がいます。そしてほとんどの信徒は、別に政治的な活動をするためにカトリックの洗礼を受けているわけではないのです。宗教団体の中で、聖職者が信徒に一方的な政治的メッセージを語るというのは、『逆らえないまま黙って聞くしかない』という意味でパワーハラスメントです。こういう状況は絶対に改めなければならない。」

現在カトリック教団が、この野村氏の批判するような状態にあるかどうかは、非信者の私は発言は控えます。ただ、これはあらゆる宗教団体における政治と宗教の問題において大切な提言だと思う。

私は宗教が政治に関わってはいけないとは思いません。いや時には、政治が社会的弱者を迫害するような場合は、その信仰に反する行為として政治と戦わねばならない時もあるでしょう。しかし、それと信徒を政治的な運動に駆り立てることは違うはず。この問題はとても重要と思うので、紹介させていただきました。

なお、本書冒頭の「隠れキリシタンの島と『日本のキリスト教の可能性』は、日本独自の信仰として隠れキリシタンを再評価する極めて興味深い内容が語られています。富岡幸一郎氏は、現在日本の知識人の中でキリスト教を最も真摯に受け止めておられる方の一人と思いますが、ここでの氏の発言も大変興味深いものです。

それと「昭和のキリスト教をぶっ飛ばせ」は、現在の型破りの牧師による現場からの貴重な証言。「教会の中にこもって、クリスチャンがクリスチャンにメッセージを届けてもしょうがない、外に行って話をしないと」これはあらゆる政治・文化運動にも共通する提言です

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