獄中改革を唱えた吉田松陰の志

明治維新150周年を記念して、今回は吉田松陰のことを。

吉田松陰は御存じのように江戸でも野山獄でも獄中生活を送りましたが、その体験から、「福堂策」という、ある種の牢獄改革案をまとめています。

そこで松陰が説いたのは、たとえ遠島になるような犯罪人でも、まず獄に入れ、三年を「一限」とし、獄中には「獄長」を置き、囚人たちの責任である種の自治を行う。そして、獄中でも「読書、写字、諸種の学芸等」を行い、獄の衛星のため、医師に月に三回か四回は巡回させる。こうして、囚人を「善導」し、獄を処罰の場だけではなく、人間回復のための「福堂」にしようとするものでした。

松陰は「一時の罪にして未だその全人の用を廃するに足らず」「人一罪ありといえども、なんぞにわかに禽獣草木に劣らんや」という信念を持っていました。(罪は)「事にあり人にあらず、一事の罪なんぞにわかに全人の用を廃することを得んや。いわんやその罪すでに悔ゆる、固より全人に服することを得るをや。罪はなほ疾(やまい)の如きか」

人間は犯罪を犯してしまうことはある。しかしそれは「疾」にかかるようなもので、その人間のすべてではない。その疾を直せば人間は再び蘇るのだ、と松陰は信じていたのでした。

しかし、このような獄中改革案を熱心に説く松陰に対し、よけいなことをするな、あなたは志士だが他の囚人のほとんどはただの犯罪者だ、同じレベルに見られては損だ、という忠告をする人もいました。特に、野山獄を一時釈放されたときに、あなたはもう出獄したのだから、獄のことなどもういいではないか、という意味のことも言われたのでした。この時松陰は、まさに激怒したと言います。

この時の松陰の怒りは、原文で紹介するのがいいのですが、ここでは私なりに要約・現代語にさせていただきます。

「この言葉を聞いた時には私は激怒した。これほど仁のない言葉はなく私への侮辱もない。私は今は幸いなことに釈放されたが、自分の身さえ獄を出れば、後の囚人のことなど知らぬなどというのは、志を持つ人間にはできないことだ。いま野山獄にいる人たちにも、みな、救われるべき様々な理由があるのだ。」

実は以上の内容は、名著「松陰と女囚と明治維新」田中彰著 NHKブックス によるものです。田中氏は松陰の精神をこう綴っています。

「相手の立場に我が身を置き、相手の心になって我が身をも考えてみる。それは単なる同情ではない。(中略)松陰が老若男女を問わず、身分制をも超えて、結果的には思いもかけない封建社会の常識を破ったような発想をするのは、相手が常に自らと同じ人間であるという考えが根底にあったからである。」(松陰と女囚と明治維新)

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