ゆずの「ガイコクジンノトモダチ」

ゆずの「ガイコクジンノトモダチ」。靖国の桜、とかいう歌詞があることなどから、やたら右翼的とか批判されたり変に解釈されたりしているらしい。この最初にお断りしておくけど、別に私はゆずのファンではない。この歌も、彼らの作品の中では佳作の部類でしょう、としか思わない。(知っている範囲では「飛べない鳥」は素晴らしい歌と思う)

その上で言いますが、この歌を政治的だ、右翼的だとか言う人の感性は全く理解できない。あえて極論を言うけど、じゃあ、ジョン・レノンの「イマジン」を反宗教的だから許せんとか、ビートルズの「レヴォリューション」は反革命的だとか、さらに言ってしまえば「へルター・スケルター」を聴いてこれは革命とハルマゲドンを歌っているから殺人をせねばならんとか(先日亡くなったチャールズ・マンソン)そういう風にしか音楽が聴けない人と同じだと思う。あえて言えば歌詞の片言節句に捕らわれる耳の不自由な人なんではないか。

「ロックは反体制『左翼』でなければならない」いう幻想からはもうそろそろ自由になったほうがいい。ロックンロールのメッセージは唯一つ「自由になれ、歌いたいことを歌え」しかない。その歌詞の中の片言節句を持ち出して政治的にあれこれ型にはめる連中こそロックの敵。

エルヴィス・プレスリーはたぶんノンポリで、心情的には保守的なアメリカの宗教に共感していただろう。しかし、彼の音楽は、黒人と白人の垣根を取り払った。黒人のゴスペルが大好きだったエルヴィスは、ツアーに黒人コーラスを伴い、彼女らへの差別や侮辱は絶対に許さなかった。チャック・ベリーの歌の主人公は黒人か、もしくは黒人音楽のリズムに魅せられた白人の若者だ。差別なんかギター一本で吹き飛ばせるということを世界に教えたのが彼らの音楽だ

初期のロックンロールの名曲「ブルー・スエード・シューズ」は高らかに歌った。「お前は何をやってもいい。でも、俺の青いスエードの靴だけは踏むな。俺の魂を踏むな。」

どんなつまらない卑小なものでもいい。自分が大切だと思うなにかを、右翼だろうが権力だろうが左翼だろうが馬鹿にするやつは許さない。ロックの原点はそこにあった。その姿勢がたまたま反体制的に見えたとしても、それは「左翼」などという狭い世界には関係ないのだ。(同時に、ゆずのこの歌も右翼とは関係ない)

その意味で、ロックンロールは政治を越える。同時に、「反体制」なる権力からも限りなく遠いところにいる。たまたまそのような歌詞を歌う歌があったとして、それは政治的な『反権力という名前の権力』とは無縁なものだ。ある意味、ジョン・レノンの生涯は、その矛盾と戦い続けたものでもあったのだけど。

ジョン・レノンメモリアルライブでゆずは「ドント・レット・ミー・ダウン」をアコースティックでうたい上げた。誰が何と言おうとジョンは君たちの味方だ。

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