昭和天皇に感動したラストエンペラー

両陛下、愛新覚羅一族の作品鑑賞 面会した溥傑氏の書も
4/14(土) 12:19配信朝日新聞デジタル

 天皇、皇后両陛下は14日午前、東京都千代田区のパレスサイドビルで、中国・清朝の最後の皇帝を生んだ愛新覚羅(あいしんかくら)一族の書画作品展を鑑賞した。

【写真】愛新覚羅一族の書画作品展を鑑賞する天皇、皇后両陛下=東京都千代田区、14日午前9時45分、代表撮影

 同展覧会は日中平和友好条約締結40周年に合わせて企画され、映画「ラストエンペラー」で知られる溥儀(ふぎ、1967年没)の弟で、戦後、日中友好に尽くした溥傑(ふけつ)氏(94年没)らの書など約40点が展示されている。天皇陛下は「これは何の文字の系統なんですか」などと説明者に熱心に質問し、皇后さまは「愛新覚羅家の皆さんはどんな暮らしを。今もお稽古に励んでいらっしゃるのですか」と尋ねていた。両陛下は生前の溥傑氏と、お住まいで度々面会するなど交流を重ねていた。(中田絢子)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180414-00000040-asahi-soci

このニュースを見て、「昭和天皇とラストエンペラーのエピソードを思い出しました。

「昭和天皇とラストエンペラー」(波多野勝著 草思社)は、満州国皇帝溥儀について書かれたまことに興味深い本で、溥儀がどれだけ日本の皇室に敬愛の念を抱いていたかがよく伝わる本でした(同時に、皇室の権威を溥儀なりに利用し、関東軍に対する独立性を持とうという姿勢も理解できました)。

ただ、この本で私が最も感動したのは、昭和10年(1935年)、最初の溥儀来日の際の昭和天皇のお言葉と、溥儀の立場を思うお気遣いでした。これは本書に多く記されているのでここではいちいち紹介はしません。

私が最も感動したのは次のエピソードです。

4月9日、近衛師団観兵式に溥儀は出席します。ところがこの時、軍は、溥儀が出席するならば、天皇陛下の臨場を奉請しない方針でした。軍の側には、他国の皇帝と同列の場合、天皇陛下を差し置いて他国の皇帝に敬礼することはできないという姿勢があったのです。

そんなことをしたら国際的な非礼になり、日満の友好も損ねるという説得が宮内省などからなされ、結局、天皇陛下は自らのご意志もあり式場に臨場しました。群を説得するために、天皇陛下の退場の際はとりわけ丁寧な敬礼を行う事、同時に、軍旗は溥儀に敬礼しないという妥協点が見出されました。

その際の陛下のお言葉が、本庄繁日記に残されています。

「朕は一兵卒に対しても答礼を為すに、軍旗は朕の敬意を払う賓客に答礼せずとは、軍旗は朕よりも尊きか」

溥儀はこの時の訪日に深く感激し「日本の軍隊が訓練の宜しきことはもちろんであるが、その軍隊の中にみなぎっている軍人精神の旺盛なことには感服した」と語り、また、宴会席で出された満州料理、晩餐会で、溥儀の来日の模様を撮影した記録映画の上映などのもてなしについて、こう感謝の念を述べました。

「どうも今晩の宴会は御客をしているようなきがしなかった。親戚の間の集まりの感じでもない。本当に一家族の集まりのような気がして実によかった。実に愉快であった。楽しかった。」

溥儀は清帝国時代の専制絶対君主と、宮中内の陰謀や嫉妬とは全く異なるものを、日本の皇室に見出し感動したのでしょう。家族的な皇室との交流、国民の率直な敬意を受ける天皇陛下、たとえ対立はあっても皇室には忠誠をつくす軍と政治家たち。この時の溥儀の感動は、後に満州に天照大御神を迎えるという昭和15年の「神廟創建」に結び付いていきます(むしろ日本側は慎重でした)。

溥儀が日本敗戦と満州国解体以後、特に東京裁判や、その自伝で残した発言の多くは、自己弁明と、また中国政府の「検閲」を経たものです。(もちろんその全てが嘘だというのも極論ですが)本書は、溥儀にとって、もしかしたら一番幸福な思い出は、この来日ではなかったのかと思わせる、歴史のある瞬間を見事に描いた一冊ですので、ぜひご一読をお勧めします。

そしてこの映像を見ると、昭和天皇が、一人一人の皇族を丁寧にご紹介されていることがわかります。


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