村上一郎と大塩平八郎

最近、村上一郎さんの評論集「幕末」(中公文庫)「草莽論」(ちくま文庫)が発行されました。私は大変うれしい。1920年に生まれ、75年、自決したこの評論家の本が、こうして再び文庫本で多くの方々の眼に触れる機会ができたことは、出版社にももちろん感謝しますけど、同時に、日本国民が、やはりいい本は長く読み継がれていく、そのような国民であるということの一つの証拠だと思う。

本そのものを読んでほしいけれど「幕末」(中公文庫)に収録された、村上氏が現代語訳した大塩平八郎の決起の文章を紹介します

「四海の民が困窮を極めておったならば、天の許しも絶えてしまうであろう。取るに足りぬ小人どもに国家を治めさせていたならば、災害は度重なるばかりであろう。東照伸君(徳川家康)も、やもめやみなし児をいつくしむのが仁政のもといだと申されたではないか。

しかるに、神君以来250年、太平におごる者たち、とりわけ大事な政治に携わる役人どもは、わいろをとることをやましいとも思わず、奥女中なんぞにたよって立身出世し、一家をこやす工夫ばかりに知恵を絞り、百姓どもをいじめつづけている、これでは、上をうらまない人民はなくなるのが当然である。

今や天皇は隠居同然で力もなく、役人は石のようであるから、民は、どこへ訴え出るすべもない。だから、人の怒りが天に届き、天は近年、地震や天災や洪水をもって世の堕落をいましめているのである。にもかかわらず、人の上に立つ者は、その戒めに気づかず、特に近頃は、米の値段が上がって万民困窮しているのに、大阪奉行らは倉庫に有り余っているコメを施そうともせず、大阪のコメを江戸に回そうと謀ったりし、しかもならず者たちを保護して、金に困らず遊んでいるものに便乗して、自分も放蕩ばかりしている。彼らに取り入り、この天災の時に、豪遊してはばからぬ富豪はまた何という人間であろう。

このたび、自分らは、有志のものをこぞり、大阪銃の金持ちの家を襲い、金や米を奪って、人民たちに分配するから、もし大阪で事件が起こったら、すぐ駆けつけてくるように。これは、普通の一揆なんぞと違い、神武天皇の政道のとおり、おごりや放蕩の風を無くし、民に寛大な政治をはじめ、四海万民を安きに置こうとする計画なのである。(中略)自分らは、平将門や明智光秀になぞらえるかもしれないが、決して天下をぬすみとろうなんぞと思っているのではない。つまるところは、天に代わって、悪者どもに罰を下すのである。」「幕末」村上一郎著(中公文庫)より

村上一郎氏は、この大塩の文章についてこう言っています。「確かに、大塩の乱ははかない行動であった。そして、その思想は尊幕(江戸幕府体制を肯定する;三浦)の範疇を出なかった。しかし、命を懸けてする行動というものは、必ず何かを残す。大塩の哀れな行動が、藤田東湖や吉田松陰に何を残したかは、それこそ、すこぶる見るものありであった。」

大昔この文章を読んだ時は私はその意味がほとんどわかりませんでした。ただ今、この大塩の決起と、その時代の限界、思想の限界を引き受けたうえ、それでもその範囲内で命を懸けて行動した人は、必ずうわべの思想や言葉を越えてどこかで引き継がれていくのだ、という信念には、今深く感じるものがあります。

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