「時事評論石川」765・766合併号に「「反近代の英雄 西郷隆盛その栄光と悲劇」を掲載いたしました

「時事評論石川」という、北潮社から発行されているミニコミがあり、最新号765・766合併号に「反近代の英雄 西郷隆盛その栄光と悲劇」という文章を掲載させていただきました。興味のある方は、〒920-0962 金沢市広阪1-2-23 北潮社 電話076-264-1119 ファックス076-231-7009 まで連絡ください。
その中で最後に赤報隊について触れました。そこだけを簡単にまとめたうえで引用させていただきます。私は赤報隊をこのような人々と考えているからこそ、朝日新聞へのテロを行ったグループが赤報隊の名前を使うことが腹立たしい。

長谷川伸「相楽総三とその同志」(講談社文庫)に詳しいが、士農工商様々な立場の志士を同志として編成し、江戸における攪乱工作活動にも重要な役割を果たし、そして西郷も理想としたはずの、農民救済と討幕運動の連結を求めた相楽総三と赤報隊は、最後には「偽官軍」として弾圧、処刑された。

赤報隊は、武士だけではなく、農民から博徒までさまざまな階層の志士たちが参加していた。そして、相楽は農民たちに「年貢半減」をアピールしていた。

しかもこの、年貢半減というスローガンは、当時の西郷隆盛書簡に「今年の租税は半減」「積年の苛政を寛められ候事」と記されており、明確に西郷の指示である。これは単なる民衆の救済や、農民を味方にするための宣伝ではない。農民出身の志士桜井常五郎が一隊の隊長を務める赤報隊にとって、年貢半減は、倒幕運動を、薩長の独占物ではなく、農民を含む全国の草莽の志士たちの連帯としての「国民運動」に発展させるための重要な政治テーマだったのだ。

しかし、赤報隊抹殺後、桜井常五郎は処刑されさらし首になったのみならず、その立て札には「元百姓常作」という蔑視を込めた言葉が書きつけられた。長谷川伸は、さらに一言印象深い言葉を書き添えている。この常五郎の次女は「明治初期のころ、近くに製紙工場ができて、そこの工女に出ていたが、汽罐が破裂して惨死」した。草莽の志士の娘は、彼らを置き去りに近代化を目指す日本社会の犠牲となったのである。

西郷がこの処置に賛同していたとは思えないが、少なくとも赤報隊の名誉回復に力を尽くした形跡はない。このことを思想史家渡辺京二は「この偉人の最大の汚点と言わねばならぬ」と明確に批判している。しかし同時に、西郷が維新後、堕落する政府を見て、戊辰の戦死者に面目ないと泣いたときに、彼の心には相楽たちのことも必ず浮かんでいたに違いない。

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One Response to “「時事評論石川」765・766合併号に「「反近代の英雄 西郷隆盛その栄光と悲劇」を掲載いたしました”

  1. カワセン より:
    三浦小太郎さんのお仕事に、かねがね注目させていただいておる者です。
    今回ご紹介の「時事評論石川」は確か以前にも紹介されていたと記憶しております。
    その節もネットで少し調べてみましたが、まったく、と言っていいほど情報がなく
    (三浦さん同様筆者の方が「執筆したので紹介する」といったものばかり)、
    電話やFAXで連絡だと面倒だな、ということでアクセスを怠っておりました。
    今回はひとつ、最新号を注文しようか、内容が良ければ定期購読しようか、と思って
    おります。
    それにしても、あれだけネットから隔絶するというのは何か意識的にやられているのか、
    気にならないでもないです。

    確か主宰者の方は「月曜評論」をやっておられた方かと記憶しておりますが、私は

    「月曜評論」を昔購読しておりましたので、懐かしく思い出します。
    「月曜評論」と言えば、故松原正さんなんかも思い出しますが、このたび自殺(いや
    自死? 自裁?)以来、既成メディアだけでなく保守ギョーカイや一部サヨクギョー
    カイでも持て囃されている西部邁を三浦さんが評価されているのにはいささか失望
    しました。
    松原氏は西部氏の本質的な部分を批判していたはずです。
    それにしても、いまの日本メディアの「一つことに集中、少数の異論がほとんど
    出ない」という傾向は困ったものです。しかもこれに関しては「左」右、既成に
    限らず、です。

    以上、無知な一読者による、一反響としてお読みいただければ幸いです。

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