石牟礼道子 この世とあの世のはざまで生きた方

石牟礼道子氏の死去に対し、何を言ったらいいのかもわからない。ただ一度、熊本でお会いすることができた。あれほど上品な人にこれまでもこれからも会うことはないだろう。

いや、上品というより、どこか、この世とあの世の間に生きておられるような方だった。だから、ちょっとあの世に行かれただけで、そのうちこの世に帰って来られるだろう。その時はたぶん全く違う場所で、全く違う少女や少年の形で帰られるだろう。その時、石牟礼氏に気づくだけの感性を持っていたいものだ。いまはそれだけを自分に言い聞かせている。

石牟礼氏について一言追加。この人こそノーベル文学賞に値した。村上春樹氏に恨みがあるのではないが、あのような文学は日本以外にも存在する。石牟礼氏の場合は、これは日本の風土とダイレクトにつながっている。だからこそ、翻訳が難しく、世界には広めにくいのかもしれないけど。

『苦海浄土』の作者、水俣病を告発した人、もうそういう決まり文句やめよう。この人に一番近い作家を日本で挙げるとしたら、私が思いつくのは宮澤賢治です。自然と人間、自然と風土の結びつきを、これほどまでに豊かに、もう動物も植物も人間も、いや、風や光や雨も含めて、まるで一つの宇宙のつながりの様に描いた人だった。

私が一番好きな石牟礼氏の文学は「アニマの鳥」です。そのことを思いつつ、「表現者」に昔書いた文章を載せておきます。

表現者 日本とキリスト教 島原の乱後に自決した武士

三浦小太郎(評論家)

作家、石牟礼道子の傑作のひとつに「アニマの鳥」がある。天草の乱に参加した農民たちと、その宗教的指導者天草四郎の姿が、これほど生き生きと描かれた文学はない。そして本作では、農民や四郎への著者の温かくかつ深いまなざしとは少し異なる、抑制された文章で描かれ、かつ、透明な哀切感を残す登場人物が現れる。いまもなお天草に「鈴木神社」として祭られる代官、鈴木重成である。

鈴木重成について、石牟礼は1983年に行われた講演会で、小説よりも直截的な言い方で触れている。鈴木重成は、当初、天草の乱に対する征討軍の一員として、砲塔、弾薬方の責任者としてやってきた。農民軍を攻撃する側にいたわけである。征討軍は農民軍を、すべて死を覚悟したものばかりで、侍相手の戦でもここまで手ごわい存在はなかったと記録に残している。

最も印象的なのは、農民軍が籠城した原城が完全に包囲され、やがて食料も尽き、落城は時間の問題となった時点で、征討軍は降伏すれば元の村に無事に帰れると呼びかけた。それに対する農民軍の返答がこれである。

「我々の求めるものは、ただ広大無辺の宝土を求めるだけで、それが許されなければ帰ることは希望しない。」

これは勿論、キリスト教の千年王国幻想の一変形である。しかし、このような幻想が農民の中に生まれ、そして「聖戦」に参加させたのは、農民に過酷な年貢が課せられたからだけではなく、天草四郎という、現実的には戦争とも政治とも無縁な、けがれを知らぬ幼童という宗教的シンボルが存在したからだ。

そして農民たちは「広大無辺の宝土」という、現実を乗り越えたユートピアに、この幼童と共に向かうこと以外のすべての希望を捨て去っていたのである。そしてこの作品の背後にあるものは、石牟礼道子が文学者として最後まで行動を共にした水俣病患者の姿であることは疑いを得ない。高度経済成長の時代に、その象徴の一つであるチッソ工場の廃液の犠牲となり、村落共同体からも奇病として見捨てられ、近代的な裁判制度の中では理解できぬ条件闘争を強いられた患者たちが求めていたものも、何よりも「もう一つのこの世」であった。

天草の乱が鎮圧されたのち、鈴木重成は現地の戦後処理を命じられた。彼はまず、キリスト教に代わる精神的支柱が必要と、神社、寺社の建設を行う。そして同時に、乱の原因の一つにはな過酷な年貢取立てなのだから、それを半分に減らしてくれるよう幕府に求めた。

しかし、その要求は認められず、重成は最後に、江戸の自邸に戻り、最後の嘆願書をしたためたのちに切腹する。幕府はようやくその後嘆願を聞き入れ、重成の甥を新たな代官として派遣、年貢石高半減が実現した。石牟礼は講演にて、君主のために切腹した武士はいても、名もない民百姓のために、領主にも値する人が腹を切ることは他にはないのではないかと述べた上で、次のように、重成の想いを推察している。

「鈴木代官をして、腹を切るほどに思いつめさせた石高半減という願い、そういう願いを生じさせるには、生身の人間が、まなうらに浮かんでいなければ、腹を切るまでにはならないだろうと思うのです。どういう人たちの顔つきが、眸の色が、この代官のまなうらにありましたのでしょう。あの顔この顔というのが具体的に浮かんでいて、訴える声が聞こえていて、こういう者たちのためなら、自分は死んでもよい、死なねばならぬ、そういう人たちに、つまり、煩悩がついてしまっておらなければ、人間、腹を切ることなどできないのではないでしょうか。」(「名残の世」吉本隆明・桶谷秀昭・石牟礼道子著「親鸞 不知火よりのことづけ」(平凡社)収録)

ここで石牟礼が「煩悩」という言葉で表しているもの、それは天草で死んでいった、いや、宝土に旅立っていった農民たちが信じていた聖書の言葉「人その友のために己の生命を棄つる、之より大なる愛はなし。」と隔たったものではあるまい。そして、聖戦と千年王国の夢を統治者として討ち破ったのちに、彼らの夢を少しでも現実に実現するためには自らの命を絶った「統治者」、つまり権力者であり政治家である人間がいたということ、私にとって日本の歴史でこれほど誇らしい「聖人伝説」はない。

You can leave a response, or trackback from your own site.

Leave a Reply

Subscribe to RSS Feed