萩原遼さんの事務所に行ってきました

これはここに書くようなことではないかもしれませんが、まあ日記のつもりで書いておきます。本日、亡くなった萩原遼さんの事務所に行ってまいりました。最後まで萩原さんを支えてくださったスタッフの方々が事務所でまだ作業をされていました。

この事務所を借りる時、諸事情から私もかかわっておりましたので、今回亡くなった後解約する際、私のサインも必要ということで参りましたが、いろいろ懐かしい話をスタッフの方とした後で、正式に不動産屋に行き、契約の今月末での解除と、整理の段取りを決めてきました。

萩原さんと私はある時期は大変近いところで運動をしていたつもりですが、ある時からはお互いに距離ができ、あまり接することもなくこの2年間ほどを過ごしてしまいました。それが心残りではありますが、今はそれはそれで致し方なかったと思っています。

ただ、一つだけ残念なことがあります。私は「拉致と真実」発行や、朝鮮総連との戦いを続ける萩原さんの活動の意義は認めたうえで、本当は萩原さんに、自叙伝をまとめてほしかったんですよね。確かに大宅壮一ノンフィクション賞を取った「北朝鮮に消えた友と私の物語」がある意味自叙伝的なものではあるのですが、あの本にはもっと書き落としたことがたくさんあるように思っていました。

萩原さんの世代にしかありえなかった在日との付き合い、共産党体験、北朝鮮の人権問題に取り組んだ時の決意と、その運動の中での出会い、そして挫折・・・ある時代の証言が書けたと思うんですよ。でも、萩原さんは、最後まで総連と戦うことが生きがいだったのでしょうし、自伝を書く意志はなかったのかも。一度だけそう勧めたことがあったような想い出がありますが、それはそのままに終わってしまいました。

実は私が書いてほしかったのは、萩原さんがどんな詩や小説と出会い、どういうところに感動したか、ということだったんですよ。これは正直私の感覚なのですが、萩原さんは、確かに一生をある意味政治運動に捧げたかもしれないけど、本当は文学的な人だったような気がします。そして、そういう文学的な自分と、運動家としての自分の間でどこか悩んでいるようなところがあったように、私は思えてなりません。ある時「源氏物語をじっくり読んでみたい。そういう時間が欲しいね。原文と、与謝野晶子の訳の両方で」などという言葉を私は直接聞いたことがあります。

今後私が萩原さんについて何か書くことはもうないと思いますが、事務所にうずたかく積まれている朝鮮関係の本や書類と共に、詩集や小説がつつましく、それだけ別の本棚に置かれているのを、なぜか愛おしく感じました。もう、萩原さんはこの世での仕事や運動からは解放されました。あとは天国で、もう一人の萩原さん(私の勝手な思い込みかもしれませんが)を充分解放して、詩や小説などを書いてお過ごしくださるよう祈ります。そして、この地上に残った私たちを見守ってください。源氏物語もそちらでじっくり読んでください。与謝野晶子さんとも会えるかもしれませんね。

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