「春の海」を大ヒットさせたルネ・シュメー

「春の海」は1929年に作曲され、1930年の歌会始にて演奏されましたが、当初はそれほど高い評価を受けていたわけではありませんでした。これはたぶん、伝統的な邦楽の旋律や様式よりもクラシック音楽の要素が取り入れられていたためだと思いますが、それが逆にフランスのヴァイオリニスト、ルネ・シュメーには共感を呼んだのかもしれません。

ヴァイオリニストのルネ・シュメーは1888年にフランスのブーローニュに生まれ、パリ音楽院に学び、早くから世界的に活躍しました。夫は、これも当時著名なヴァイオリニストだったイザイのピアノ伴奏者ドクルー、演奏のみならず、当時のアメリカではラジオ番組などにも積極的に出演し、メディアも活用したスター的演奏家だったようです。

シュメー氏が来日したのは昭和7年(1932年)4月。演奏会は大盛況でした。そして、日本の音楽や伝統に興味を持っていたシュメーは、ぜひ邦楽の演奏家を紹介してほしいと希望し、宮城道雄を紹介されます。宮城は自作「春の海」他数曲を演奏、シュメーは特に「春の海」が気に入り、ぜひ共演しようということになりました。(なお、三味線の演奏家にも紹介され、こちらも日本の音楽のもっとも純粋な精神が体現されていると感動したそうです。)

5月31日、日比谷公会堂での、シュメーの日本での最後のリサイタルでこの共演は実現し、それを聴いた川端康成氏の文章が昨日紹介したものです。そして録音されたレコードは同年7月に発売され、シュメー氏の来日記念盤としての意味合いもあったのでしょう、大ヒットにつながったのでした。なお、当日のプログラムには、「提琴会の女王 ルネー・シュメー女史 箏曲会の新人 宮城道雄氏」という言葉が印刷されています。

シュメー氏との出会いと演奏について、宮城道雄はこう語っています。「私はどんなに離れてゐても、芸術の精神といふものは変わらないものだと畏怖ことを非常にうれしいと思ってゐる。」「一度で私の思ふ通りの感情を表してゐた。言葉こそ通じないが、シュメエと私の気分がぴったり一致してゐた」このレコードは海外でも発売され、シュメー氏は、自分がこの曲の普及に役立てたことを大変喜んでいたと伝えられます。

シュメーのその後については資料は少なく、演奏や録音の記録も1947年のものが最後のようです。おそらく、1930年代でほぼその全盛期は終わったのでしょう。この時代のヴァイオリニストはそれぞれ個性的でとても味があるというかムードたっぷりの演奏家が多いのですが、同時に、テクニックや正確さという点では欠点もあり、演奏家としては割と早く第一線を退いてしまう人もいました。海外のウィキペディア等を見る限り、1977年に亡くなったようです。

現在はCDへの復刻もほとんどないのですが、この「春の海」ほか、YOUTUBEで 彼女の演奏はいくつも聴くことができますし、その舞台写真も掲載されています。一曲お聴きください。トスティのセレナーデです。

宮城道雄は1953年、フランスとスペインで開催された国際民族音楽舞踊祭に日本代表として渡欧した折に、シュメーと再会したということです。20年前の共演について、戦争の時代を経て二人が何を思い、どんな言葉を交わしたのか、いろいろと思うところがありますね。

このことは同年11月8日の読売新聞記事に書かれているようですが、私はまだ未読です。国会図書館などで調べれば読めるでしょうが、何となく、別に記事を読まなくても、二人の共演した録音や、川端氏の文章などを読んでいればそれでいいような気がするんですね。二人の想いは、簡単に言葉になったり記事で伝わるようなものではなかったでしょう。

シュメー氏は世界のヴァイオリニストの歴史に大きく残るような演奏家ではなかったのかもしれませんが、私たち日本と「春の海」にとっては、とても重要な演奏家だったのではないでしょうか。この名曲を多くの人に届けてくれたシュメー氏に感謝します。

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