萩原遼氏、天国へ。北朝鮮に旅立った親友と再会していることを祈ります

萩原遼氏死去…「北朝鮮に消えた友と私の物語」

 萩原遼氏 80歳(はぎわら・りょう、本名・坂本孝夫=さかもと・たかお=ノンフィクション作家)22日、東京都内の自宅で亡くなっているのが見つかった。

 告別式は近親者で営む。喪主は、兄で古典芸能評論家の木津川計(きづがわ・けい)氏。
 高知県出身。1999年に「北朝鮮に消えた友と私の物語」で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。著書に「朝鮮戦争」「金正日 隠された戦争」など。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171225-00050118-yom-ent

萩原遼さんが天国に旅立ちました。

今はなかなか言葉になりませんが、萩原氏についてどうしても語っておきたいことだけを記しておきます。

萩原氏は若い日から日本共産党員であり、貧しい人々が、共産主義によって解放され、すべての人々が幸せに生きられる世界を信じて活動してきました。それを今の時点で批判するのは簡単ですが、そのような理想を本気で信じる善意で理想に燃えた人々がいた時代があったことは確かです。

そして、萩原氏の親友の在日朝鮮人も、同じ理想を信じて北朝鮮に帰国事業で渡りました。萩原氏が赤旗特派員として平壌に赴き、そこで親友に再会しようとしたときの悲劇は「北朝鮮に消えた友と私の物語」(文藝春秋)に記されています。

それ以後、萩原氏は苦悩しつつも、1990年代以後、北朝鮮の人権問題を告発する運動を始めました。1994年に「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を、小川晴久氏、金民柱氏らと結成して、北朝鮮を告発した時は、総連の暴力にさらされました。同時期、関西では李英和氏をはじめ、RENKの運動が北朝鮮の独裁体制民主化を訴えました。

私のように、もともと反共産主義の人間は、北朝鮮を批判するのは簡単なのです。しかし、萩原氏のように、日本共産党に属し、共産主義の理想を信じ、在日朝鮮人と交友していた人が、北朝鮮と、それを批判しない日本の多くの左翼陣営を敵に回して戦うことがどんなに大変だったか、私には想像を絶するものがあったはずです。

萩原氏は、そこで誤解にさらされ、友人を失うことも畏れず、断固として、北朝鮮の独裁体制を批判し、帰国者、日本人妻の救援を訴え、その後明らかになった拉致問題に対しても日本政府に同胞救出を訴えました。萩原氏をはじめ、横田めぐみさんの拉致が明らかになる前に、日本の左翼系の方と在日コリアンの人たちが北の人権問題に立ちあがったことは、少数派だったとはいえ、忘れてはならないことだと思います。

その後、萩原氏の言動は、拉致と帰国事業の責任者としての朝鮮総連を許せないという姿勢をさらに明確にし「朝鮮総連をさら地にする会」における定例街宣などを展開していきます。その中で、正直に言えば、北朝鮮の人権問題を訴える団体の中でも、いろいろな見解の違いや距離も生まれることもありました。私自身、ここ数年は、萩原氏と疎遠になっていたことも事実でした。

しかし、今でも忘れがたい萩原氏の言葉があります。これは、確か雑誌正論に掲載した文章の中でも書いていた言葉ですが「マルクスはキリストに負けたんだ」という言葉でした。これは、キリスト教という固有の信仰だけではなく、萩原氏が言いたかったことはもっと深い意味があると思います。それは、闘争や、一歩誤れば憎悪や復讐に至りがちな革命の論理ではなく、人間が許しあい、連帯できる理想こそ本当の意味で人間を解放するということだったと思いますが、今はこれ以上、故人の言葉を勝手に私が語るのは避けます。しかし、生涯を通じて信じてきた思想を、このように反省することがどんなに大変なことか、それがどれだけ勇気がいることかを私たちは受け止めねばならないでしょう

しかし、萩原氏が、信じた理想に裏切られても、孤立も誹謗も畏れず、その理想を侮辱し親友を死に至らしめた北朝鮮と朝鮮総連と戦い続けた人生は、ある意味、日本左翼の良心のあかしだったのではないかと思います。

萩原氏が天国に旅立ち、親友と再会していることを祈ります。
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One Response to “萩原遼氏、天国へ。北朝鮮に旅立った親友と再会していることを祈ります”

  1. 紺碧の空 より:
    萩原遼さんが亡くなられたこと、とても悲しいです。
    独特の語り口で北朝鮮問題を語られ、たくさんの著作を世に問い、歴史に残るスクープもされました。

    病気になられた後も、熱心に活動を続けていましたので、健康状態は落ち着いていたのだと勝手に解釈していました。

    北朝鮮(人権)問題に左翼が真っ向から立ち向かい、正々堂々と体制批判をするということは一見簡単なように見えてとても難しいことです。現状の日本で左翼といわれる人たちの北朝鮮問題に対する態度を見る限りそのことは明らかです。彼らの多くは、この問題に対してことごとく冷淡か無視を決め込んでいます。

    自分が信じてきたイデオロギーを真っ向から批判することは、自己アイデンティティの崩壊につながります。

    自らを批判し、反省しなければその位置に立つことはできません。特に立場のある人ほど、そんなことは簡単にできません。だからこそ、北朝鮮問題にはことごとく関わらないにかぎるとばかりに何もいいません。

    北朝鮮の現状が明らかになり、世界中から非難されても今だにいい国だとか日本の方が悪いなんていっている人はよほどおめでたいか確信犯なんでしょう。

    共産主義という幻想が世界中で燦然と輝いていた時代、その理想の元に活動していた人はたくさんいます。

    今もいます。当時のことを今の価値観で批判するのは簡単ですが、あの時代にはそれが熱波となるだけの理由と時代背景がありました。大切なことは、真実がわかった時点でどのように対応するかだと思います。

    自分が信じてきた理想がそれを体現していると思われた国がとてつもなく残虐に国民を大量に殺戮するのだと気づいたときに、その理想をきちんと総括し批判できるか…。

    北朝鮮に限らず、ロシアも中国も共産党独裁体制国家は人の心を殺し、肉体も大量に殺戮してきました。

    その真実に向き合ったときに、どんな態度をとれるか、自分はどう向き合えるか、そのことは人権問題にかかわる一人としてずっと心にのなかにある要諦です。

    その点、遼さんは(親愛をこめてこう呼ばせていただきます)とても真摯で誠実でした。遼さんの晩年の活動にそのことが凝縮されています。

    三浦さんのおっしゃるとおり、日本左翼の良心を体現された方だと思います。

    人は、一人で生まれ一人で死んでいきます。

    どんな人にもは死は必ず訪れます。
    別れはある日突然やってきます。

    ここ二年ほど、北朝鮮問題にかかわってきた方が次々と亡くなられ、いいようのない寂しさと空虚を感じています。

    また会おう、次もよろしくねほど不確実なものはありません。会いたい人には、時間を作って会っておくべきだと実感しています。遼さんの思い出は笑顔とともに覚えておきたいと思います。

    三浦さんもお体大切に。

    遼さん、長い間お疲れさまでした。天国で安らかにお過ごしくださいね。

    そして、北朝鮮が民主化されるまで、この問題が解決される日まで見守り続けてください。

    萩原遼さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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