崔承喜、川端康成が絶賛した舞踏家

クリスマスが近くなってきたので、ここから25日までは色々昔の感動的な音楽や映像を紹介しましょう。

まず、この映像をどうぞ。戦前大活躍した舞踏家、崔承喜の様々な写真があります。この写真だけでも、彼女の魅力はある程度伝わると思います。

崔承喜は1911年にソウルに生まれ、日本のモダン舞踊の先駆者石井獏に才能を見出されて日本に渡り、戦前・戦中に大成功を収めました。私の余計な説明より、当時の評価をそのまま紹介しましょう。

村山知義(劇作家)「崔承喜は彼女の肉体的天分と、長い間の近代舞踊の基本的訓練の上に、古い朝鮮の舞踊を生き返らせた。これこそ優れた芸術家のなしうる特典であり(中略)我々は彼女によって、はじめて遠い時代の半島の隆盛時代の豊穣だった、しかしその後殆ど煙滅に帰せられた芸術の姿に接することができた。我々は、日本的なるものの母の母の、そのまた母の息吹を感じることができた」

川端康成「(女流舞踏家の日本一は誰かときかれて)私は何の躊躇もなく、崔承喜が日本一であると答えたのであった。そして私にそうさせるに足るものを、崔承喜は疑いもなく持っている。(中略)第一に立派な体躯である。彼女の踊りの大きさである。力である。それに踊り盛りの年齢である。また彼女一人にいちじるしい民族の匂いである。(中略)」

「しかし無論、崔承喜は朝鮮の舞踊をそのまま踊っているわけではない。古きものを新しくし、弱まったものを強め、滅びたものを蘇らせ自らの創作としたところに生命がある。」

崔承喜は舞踏家としてだけではなく、「アサヒグラフ」その他の雑誌や広告でも今でいうファッション・タレントとしても人気を集めました。アメリカやヨーロッパでも公演を成功させました。客席にはピカソやジャン・コクトーの姿もありました。

パリ公演の際、当時の朝鮮日報の電話インタビューに彼女は、自分の公演の成功は朝鮮の舞踊が認められたことであり、昔、朝鮮の金剛山に仙女が飛来して踊りを教えたという伝説が朝鮮にはあること、だからこそ、朝鮮人の舞踊には超自然的な素質があるのだと私はパリの人々に語った、と堂々と語り、それがそのまま記事になっています。

私はこういう資料を読むと、大日本帝国は、本当に「多民族国家」だったのだなあと思います。日本統治についての評価、批判は色々あっていい。しかし、独りの朝鮮人舞踏家が日本の一流の知識人にも大衆にも共に愛され、しかも堂々と民族の誇りを語り、また日本人も彼女の民族の美質を讃える、これは掛け値なしに私は素晴らしいことだったと思います。

一方、アメリカでは、独立運動家からは親日派とみなされ批判を受け、また、逆に彼女が反日的な活動をしたといううわさも流れるという事件も起きましたが、崔承喜自身はそのような政治的なことにはほとんど興味を持たなかったようです。(夫の安漠は左翼的な思想を持ち、これが後に彼女の運命を変えてしまいますが・・・)

戦争中、崔承喜は軍の慰問も行いました。内容も戦時的なものに改編され、舞台も粗末で狭い急ごしらえのものでしたが、彼女は全く手を抜くことなく兵士のために踊りました。中国戦線での慰問時、彼女はこのように語っています。

「ある病院慰問の折、未熟な私の踊りではありましたが、『七夕の夜』などの哀愁の伴う曲目を踊りました時、私は舞台の上から、暗黒の客席からすすり泣きの声を聴き、踊る私ですら胸が迫って、涙を抑え抑え踊りました。戦場においてあのような勇敢な皇軍将兵のこの涙の反面を見て、私は強さというものがどこから来るかということを考えさせれました」(1942年、婦人公論)

こういう言葉自体は彼女自身のものではなく、婦人公論の当時の記者がまとめたものです。いまはこの種の文章を、当時の時局に媚びたものとか、無理やりしゃべらされたもので本音ではないかとか、そういう風に解釈する傾向がありますが、私はこれはほぼ正直な彼女の感想だったと思いますよ。

歌手であれ、舞踏家であれ、演劇人であれ、明日をも知れぬ兵士たちの前で、これが最後かもしれない自分の芸を見てもらうとしたら、本気にならない方がどうかしているし、そこで兵士が感動してくれたら自分自身も感動すると思いますから。

しかし戦後、左翼的な思想を持っていた夫の影響もあり、崔承喜は北朝鮮に渡っていきます。しばらくは偉大な芸術家として、北朝鮮は宣伝のためにも彼女を重用し、夫も北朝鮮文化省次官 に就任しましたが、それも長くは続きませんでした。

1958年10月、金日成は名指しはしませんでしたが、古い思想を持つ個人主義・英雄主義者として崔を批判、夫も、金日成の政敵で粛清された朴憲永派に近かったこともあり、ともに失脚、追放され、その後のゆくえはわかりません。今の北朝鮮の公式発表では1969年に亡くなったことになっています。あくまで舞踏家として自分の好きな踊りを踊り、人々に伝えたい彼女はおそらくあの独裁国では生きていけなかったのでしょう。

崔承喜は戦前「半島の舞姫」という映画にも出演しています。いまはフィルムも残っていないようですが本当に残念…映画としてはいわゆるアイドル映画で大した作品ではないらしいですが、全盛期の彼女の踊りを見ることができるのに・

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