チャールズ・マンソンとデニス・ウィルソン

チャールズ・マンソン受刑者病死 カルト作り女優ら殺害

1960年代にカルト集団を作り、信者に女優ら7人を殺害させるなどして終身刑を受け、40年以上獄中にいたチャールズ・マンソン受刑者が19日、搬送先の米カリフォルニア州の病院で病死した。83歳。AP通信などが伝えた。

 マンソン受刑者は69年、「ファミリー」と呼んでいた信者に殺人を命令。映画監督のロマン・ポランスキー氏の妻で出産間近だった俳優のシャロン・テート氏らを殺害させた。他にも別の夫婦を刺殺させ、現場に血でビートルズの歌のタイトル「ヘルター・スケルター」などの文字を残すなど、米国社会を震撼(しんかん)させた。信者を使って人種間の戦争を始めようとしていたとも言われる。

 当初は殺人罪などで死刑判決を受けたが、その後同州で一時死刑が廃止されたため、終身刑に減刑されていた。

 殺人事件を起こす前は音楽業界とのつながりがあり、作った歌は著名歌手らもカバーしている。ヒッピー風の容姿や言動とともに「悪の象徴」と呼ばれ、その半生は映画やテレビドラマなどにもなった。(サンフランシスコ=宮地ゆう)

http://digital.asahi.com/articles/ASKCN54NHKCNUHBI017.html

チャールズ・マンソンのCease To Exist が、ビーチ・ボーイズの下記の曲になったのは有名な話

(原曲を聴きたい方はこの曲名でYOUTUBEなど検索ください)

ビーチ・ボーイズ

マンソンはビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンと知り合い、一時はデニスはマンソンの曲をレコードにしようと何曲かをレコーディングした。マンソンは、曲はどういじってもいいが、歌詞は一言も買えてはいけないといったけれど、デニスは曲の歌詞を変えて上の曲を録音、マンソンの名前がビーチ・ボーイズと共に音楽史上に残ることにはなったけれど、マンソン自身は激怒したらしい。デニスのスタッフは、マンソンが彼の信者「マンソン・ファミリー」と一緒に荒野にいる時を撮影したドキュメントみたいなものを作ったらよかったんじゃないかと語っていて、確かに、音楽だけを聴くより、それは不謹慎ながら後に起きた事件を思えばすごいドキュメントになったことは確か。

ビーチ・ボーイズのデニス・ウイルソンとチャールズ・マンソンの関係は、「ビーチ・ボーイズ・リアル・ストーリー」(早川書房)が一番臨場感あふれる文章で描いている。マンソンとデニスとの交流は、要するに誰かに頼られると断れないタイプのデニスが、マンソンの放つ怪しげなオーラと、彼の周囲の女性を中心としたヒッピーとアングラな臭いに魅せられて付き合ったが、どうにも危ない連中であることがわかって遠ざかっていった、と、まあそのレベルと言えばそのレベルである。

しかし、成功してはいたが内面の空しさと、自分が時代に取り残されバンドからも離れていくのではないかという焦りを持っていたデニスが、マンソンの強烈な個性にどこか魅かれたのもわかるような気もする。しかし一歩誤れば、デニスや、彼にマンソンのプロデユースをするよう頼まれたがすげなく断った関係者たちは殺されていたかもしれないのであって、本当に危ない世界に踏み込みかかっていたことがわかる。

マンソンはビートルズが、単に遊園地の滑り台を茶化しながら意味ありげな言葉で歌ったに過ぎない「へルター・スケルター」を、黒人による世界革命と、その後の千年王国を支配する自分たちの王国の到来の預言とみなし、自分たちの妄想をたくましくしていった。しかしこの手のカルトにありがちだが、マンソン自体は一人の人間も実は殺していない。デニスがついにマンソンの傲慢さにキレて、勝手にしろと突き放した時に、マンソンはナイフを出して脅そうとしたが、デニスにせよ、同じような場面にあった女性にせよ、マンソンはすごすごと引き下がっている。しかし、マンソンにすっかり心酔していた周囲の「信者」たちは、易々と殺人を犯した。このあたりが、やはりある意味洗脳や信仰の恐ろしさなのだろうか。

当時のビーチ・ボーイズは、最高傑作とされる「ペット・サウンズ」が当時は十分理解されず、バンド内も混迷していた。彼ら自身、60年代初頭に大ヒットさせたサーフィン・ミュージックが、当時はもう時代遅れのものになりつつあるのを感じ、新しい方向性を模索していた。これはリーダーのブライアン・ウイルソンだけではなく、最もショーマン的なボーカリストだったマイク・ラブも、インドの業者マハリシに入れあげ、彼の説法とビーチ・ボーイズのライブを合同で行うコンサート・ツアーを試みたほどだった(そして見事なまでに失敗した)

しかし、マンソンにヒッピー文化の象徴を見て交流しようとしたデニスも、マイクも、そしてドラッグに浸りこみながらスタジオと自宅に引きこもって、狂気すれすれの生活を送っていたブライアンウイルソンも、もしかしたら、1960年代後半のアメリカの闇を見つめ続けていたのかもしれないとも思える。この時期のビーチ・ボーイズの「スマイリー・スマイル」「フレンズ」「20/20」あたりの、混迷の中にも必死で出口を見つけようとしている様や、特に「フレンズ」の、ある種のヒーリング・ミュージックのような浮遊感のあるサウンドは、あの時代の風をビーチ・ボーイズが真摯に受け止め取り入れようとしていたからこそ作れたアルバムのような気もする。

マンソンの愛読書は、SF小説家ハインラインの「異星の客」だった。今度読み返してみようかなあ。

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