祝!カズオ・イシグロ氏ノーベル文学賞受賞(1)日の名残り

カズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞は個人的には好きな作家が受賞して嬉しい。しかし、こんな地味な、どちらかと言えば(いい意味で)古いタイプの作家の受賞は、文学がもう一度伝統に回帰することの象徴なのかと個人的には思ったりしました。

もしもイシグロ氏の小説が未読の方で、ちょっと本を読む時間が取れないという方は、映画「日の名残り」をレンタルDVDで構いませんのでご覧になることをお勧めします。絶対原作読みたくなると思いますが、映画も傑作です。ヨーロッパの貴族階級と、そこに努める執事の姿にはちょっと感動しますよ。そして、このような世界は亡びざるを得なかったこともわかりますが、この精神は何らかの形で生き残ってほしいと切に思います。

私がこの映画を観てすさまじいと思ったのは、貴族の執事とかメイドとか、その仕事にかける情熱と完ぺきさは半端ではない。新聞にはアイロンをかけて出す。館で名士を集めた宴会をするときは、もうナイフとフォークを並べるところから、部屋の掃除まで、まさに戦場同様の緊張感をもって執り行う。年老いて足がおぼつかなく、倒れて食器を壊してしまった老執事は、自分の大けがよりも食器を気遣う。宴会を仕切る執事は、自分の父親の死よりも、まずその宴会の成功が大事だし、それを父もわかってくれていると信じている。

この執事が仕えるイギリス貴族は、やはりヨーロッパの上層階級として、第二次世界大戦におけるドイツとの戦争は耐えられない。彼は今でも、かっての貴族時代の、お互いが話し合えば破局は避けられるという夢を信じてしまう。すでに大衆政治とファシズムの時代になっていたことに気づかず、英独の対話で戦争が避けられると信じ、貴族外交の夢に捕らわれている。戦争勃発とともに貴族の伝統社会は完全に潰え、執事が心から使えた貴族はナチ協力者として社会から抹殺されていく。最初、その執事は、その貴族に仕えていた過去を戦後隠そうとするが、とうとう彼への悪罵に耐えられなくなり「真の貴族で、あの方にお仕えしていたことは私の誇りです」と語る。このシーンは泣けましたね私は。

ここでは、映画で感動してほしいのであえて触れなかったのですが、この峻厳で冷徹に見える執事がこっそり隠れて読んでいたのはセンチメンタルな恋愛小説。語ることはなかったけれど憧れたのが、貴族の館にやとわれた女性。これほど切ない、一言も愛が語られることのないラブストーリーはそんなにないと思わせます。

結局、貴族の館は戦後、アメリカのブルジョアのものとなり、執事は彼に仕える。それでも、たとえ理解されなくても執事としての態度は帰属に仕えていた時と変わらない。ついにお互い告白することのなかった、同じ屋敷に努める女性との再会、しかし、二度と戻ることのない時間をお互い理解して別れていく姿。こういう貴族社会、伝統社会と、そこでの人間のあり方は、もう20世紀に生き延びることはできなかった。しかし、その精神には、私たちが忘れてはならない美しさがあります。この映画、繰り返しますが、レンタルでいいので是非ご覧ください。絶対原作読みたくなるから。

早川書房は、この作家にほれ込み、その作品を次々の翻訳紹介してきました。今回その努力が報われ、全翻訳が増刷されるとのこと。これはまさに出版とは文化だということを、この売れればいいという時代に示した快挙。そして、私たち日本文学も、川端康成のノーベル文学賞受賞、三島由紀夫や安倍公房、そして源氏物語の世界文学としての評価は、ドナルド・キーン、サイデンスデッガーらのすぐれた翻訳者が英訳してきたからです。小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、明治時代、日本の伝統が近代化の中で失われることを危惧し、古い日本精神を英語でとどめ世界に普遍化した。翻訳とは、文化と文化をつなぐ橋です。私たちが偉大な外国文学を読むことができる翻訳者の方々にも、また、日本文学を世界に伝えてくれる英訳者にも、ここで改めて感謝を捧げます。

You can leave a response, or trackback from your own site.

Leave a Reply

Subscribe to RSS Feed