残暑を耐え抜くために一曲「ヨハン大公のヨーデル」

残暑が大変厳しくなる予感がするので、すこし涼しく爽やかないいお話と音楽を紹介します。

「ハプスブルグ家の女たち」江村洋著(講談社現代新書)に詳しく書いてありますが、オーストリア帝国のヨーハン大公(1782年、帝国皇帝レオポルド二世の子供として生まれた)のお話。

レオポルド二世が1792年に若くして亡くなると、長男フランツが皇帝に即位。ヨーハン大公は、普通の若者同様軍隊に入り、兵士たちが苛酷に扱われ、しばしなひどい刑罰を受けているのを目の当たりにし、貧しい兵士や庶民への同情を早くから持つようになりました。そして、帝国の宮廷の偽善的な虚飾に満ちた世界よりも、都会を離れた山の中での素朴な人々との生活を愛するようになりました。そして、田舎の農業開拓、産業の活性化、庶民の生活向上などに取り組もうとしていきます。

宮廷では不愉快なことが多かった大公も、田舎の山村では庶民と共に語り、時には歌い踊るなど楽しい日々を過ごしていたようでした。そして、山岳地帯のシュタイナーマルク州にて、避暑地の村に滞在した際、そこの郵便局長の娘、アンナ・ブロッフルと出会いました。1819年、大公は37歳、アンナは15歳でした。アンナは早くに母親を亡くし、幼いころから長女として早くから弟や妹の母親代わりを務めるしっかりした女性だったようです。二人はたちまち親密になり、22年には大公は結婚を決意します。アンナの父は一度は、身分違いとして反対し(おそらく自分の娘が悲劇に合うと思ったのでしょうが)ましたが、ヨーハン大公の誠実さに最後には同意しました。

 
このような恋愛が仮に王家と庶民の間に起きた場合、例えばフランス国王などならば、その女性を愛人として囲うことが常識でしたし、オーストリアでもそれは可能だったでしょうが、あくまでヨーハン大公は正式な結婚を求めました。保守的な宮廷が軽々しくこのような「貴賤結婚」を認めるはずもなく、長い年月が過ぎたのちに、やっと1829年、二人は、アンナも、そしてこの結婚で生まれた子供たちも一切公子としての権限も名前も与えられない、また、当分この結婚は極秘とすること、などの条件をのんだうえで結婚が認められます。

大公は妻の故郷、シュタイアーマルク州に住み、農業の革新、機械化、鉄道建設などによる交通手段の改善などに取り組んでいきました。そして民衆に愛され、かつ統治者としての業績が明らかになる中、今度は宮廷側は白々しくも結婚を公表してもよいと言ってきます。ヨーハンを政治の場に迎えようとする動きもあり、1848年、ウィーンでメッテルニヒの保守反動政権に抗議する暴動が起きたのちには,一時国民会議の摂政にも選出されましたが、政治権力の駆け引きよりも田舎での地道な仕事を選んだヨーハンは、シュタイアーマルクに戻り、そこで1859年世を去ります。アンナも夫を支えるだけではなく、孤児院建設などにも力を尽くし、1885年に亡くなりました。

「ヨハン大公のヨーデル」という有名な曲がありますが、これは民衆に愛されたヨハン大公の死を悼むとともに彼を懐かしみ、また、ヨーハン大公が愛した山と自然の美しさを讃える歌だそうです。ヨーデルというのは一時日本でもよく聞かれたそうですが、今はそれほどはやらない音楽なのかもしれませんけど、やはり蒸し暑い夏に聞くとそれなりに涼しい気持ちになりますので、ぜひこちらをどうぞ。

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