引き揚げ体験と拉致問題 特定失踪者木村かほるさん

これも下川正晴氏の「忘却の引き揚げ史」からの引用です。ここで紹介する産経新聞記事と合わせて読んでください。このような歴史こそ、この8月に私たちが共有すべきものですし、同時に、今もなお天内さんの妹さんはあの国に拉致されたままなのかもしれないのです。

「1945年8月9日、ソ連が満州に侵攻してきた。天内みどり(83)は当時12歳。(中略)日本人学校に連行された。日本の敗戦を知った自餅住民らが、竹やりを手に校舎内に入り込んできたが、大人たちが何とかなだめた。ほっとした天内が一人で校庭に出ると、どこからか朝鮮語の歌が聞こえてきた。校舎の陰から現れたのは、4,5人の少年兵だった。彼らが担いだ棒に、16歳くらいの少女が裸でさかさまにつるされていた。直感的に日本人だと思った。(中略)『見てはいけないものを見た」母には話せなかった。

収容所での暮らしが始まった。食べ物といえば、コーリャンが10粒ほど浮かんだおかゆ。病弱な母の代わりに海神や豆腐売りを引き受け、焼き芋などを買って飢えをしのいだ。」夜中になるとソ連兵が現れ「マダムダワイ(女を出せ)」と騒いだ。そのたびに、若い女性が叫び声をあげながら連れていかれた。(中略)数人の日本人と一緒に、収容所を脱出し、釜山を出て佐世保港にたどり着いたのは1年後のことだ。

戦争になると、女性はモノとして扱われ、一生消えない傷を抱える。教職に就き28歳で結婚。しかし夢の中でしばしば「マダムグワイ」という声にうなされた。「まさか君は大丈夫だよね」と夫が言った。当時、引揚者は生きるために体を差し出したという偏見があった。娘二人を授かったが、夫に触れられると震えるようになり、夫婦仲はぎくしゃくしたままだった。夫との死別を機に、引き揚げ体験を本にまとめた。目撃した性暴力もありのままに書く記した(中略)『伝えないと、なかったことにされてしまう。』それが、生き残った者の義務と感じている。(中略)

彼女の妹は、北朝鮮による拉致被害の可能性がある人なのだ。天内の妹、木村かほるは、1960年2月27日、秋田市内から忽然と姿を消した。当時、秋田関受持皇統看護学院三年生、卒業式を間近に控え、実家近くの日赤病院への就職が決まっていた。(中略)

妹と北朝鮮の拉致を関連付ける情報は数件あるが、2007年にバンコクから届いた情報が有力だ。平壌に拉致されたタイ人女性10人のうち、3人から得られた日本語教師に関する証言だ。その特徴がいずれも妹と酷似ている。天内が自費出版した本を読んでそのことがよくわかった。」(忘却の引き揚げ史 306ページ)

特定失踪者問題調査会の荒木和博氏の言葉を付け加えておきます。

「「不確かな情報であり確認できない」からといって動かないのではなく、「不確かだが情報がある」ということで動くべきであるのは当然です。木村かほるさんについて言えば、平壌でタイ人女性に日本語を教えていたとの証言があり、今回の証言はそれとも一致します。」

「こういうときは「北朝鮮にいる可能性のある失踪者はすべて拉致されている」という前提で対処していただきたいと思います。災害のときは所在不明であればすべて被災した可能性があるとして対処するのですから。」木村かほるさんに関する情報について【調査会NEWS1109】(23.12.21)

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