「北朝鮮帰国事業写真集 新潟の波止場からの旅立ち 撮影小島晴則」ホームページを開設しました

「北朝鮮帰国事業写真集 新潟の波止場からの旅立ち 撮影小島晴則」というささやかなホームページを開設いたしました。今後更新などはあまりしないと思いますが、このホームページ上の写真に関しましては、個人、団体、報道関係を問わず、自由にご使用いただいて構いません。 (ただ、出典を「写真で綴る北朝鮮帰国事業の記録(小島晴則著 高木書房)」と明記ください。)
このホームページはリンク先に置いておきますので、皆さまご訪問くだされば幸いです。あと2年で、帰国事業開始から60年を迎えます。小島さんが撮影した写真は、まさに現代史の貴重な資料ですので、本来ならば、どこか大学や研究所がいつかきちんと管理して後世に伝えてほしいと思います。

北朝鮮帰国事業写真集 新潟の波止場からの旅立ち 撮影小島晴則

http://kikokuji.client.jp/

小島晴則さんが写し続けた北朝鮮帰国者

前川恵司(ジャーナリスト)
 新潟県帰国協力会の元事務局長で日本共産党員だった小島晴則さん(82)は、帰国事業開始実施が決まる1959年夏ごろから約10年間、カメラのシャッターを押し続けた。帰国第1船を前にした慌ただしい、新潟の動きから、新潟駅での出迎え、日本での最後の宿となり、また帰国への最終的な意思確認が行われた日赤センターでの様子、数々の行事、新潟港を離れる人々と見送る人たち……。
 人は、天からの授かりものだろうと誰からもいわれる、ひときわ輝く才能を持っているものだ。小島さんの写真には、写真の世界で生き、実力を磨いたならば、と思わせる力がある。子どもの頃からの写真好きが、ここ一番という舞台に巡り合って、輝きを放ったに違いあるまい。
 帰国事業の時代のころの写真界は、土門拳の写真集「筑豊のこどもたち」に代表される、リアリズムの黄金期だった。リアリズム写真の神髄は、「あるがままに写し込む」だが、小島さんの写真もその影響を強く受けている。もともと、小島さんは農家の長男坊だった。日本共産党に入ったのも、当時の社会的な雰囲気と同時に、朝3時から起き、飯を作り、田畑に出る辛い農民の生活から抜け出したい気持ちがあったが、農業で腕の力が鍛えられていた小島さんの写真は、暗いところでも、ほとんどぶれないで写し込んでいる。日赤センターなどでの帰国者の情景が、静かに去っていく人々の姿を良く伝えているのは、小島さんが柔らかい光だけで表現しているからだ。
 農民のもつ厚かましさも小島さんの写真の骨格になっている。望遠レンズはほとんど使わず、一歩も二歩も踏み込んで、眼前で写し。臨場感をそのまま表現している。同時に、余計なものが巧まずにして消えている。 楽園と信じた祖国への期待と人生の夢に追い立てられるように船上の人になった帰国者の表情は、真剣だが明るい。感激であふれている。見送る人々は、別れは哀しくも、悲しみの別れでない気持ちの高ぶりを隠していない。
 しかし、2日後に清津港に着いた瞬間、船上の夢は粉々になった、と帰国脱北者の多くは語る。小島さんが、清津港にいたら、北に消えていく人々を追い、どんなショットを残しただろうか。
(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会発行 『光射せ!』より)
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