劉暁波氏死去。貴方の天安門での勇姿は忘れない

強大化した中国、劉氏を恐れた理由 死去の報道も制限
7/13(木) 23:43配信 朝日新聞デジタル

 獄中でノーベル平和賞を受賞し、中国の民主化運動の象徴的存在だった人権活動家の劉暁波(リウシアオポー)氏(61)が13日、亡くなった。民主化の夢は一党支配を死守しようとする当局の壁に阻まれ、末期がんに侵されても出国もかなわなかった。だが、その死は強大になった共産党政権に大きな問いかけを残した。

 「民主化を目指す我々の精神的な支柱だった。とても悲しくて、怒りでいっぱいだ」。劉氏が投獄される原因になった「08憲章」に最初に署名した1人で杭州の学者、温克堅さん(46)は言った。病院に見舞いに行ったが、病室すら教えてもらえなかったという。

 北京の著名人権活動家、胡佳氏(43)も「出所したら、一緒に中国の変革を目指して闘いたかった」と無念さを口にした。ただ、政府が出国を認めなかったことへの怒りは大きい。「せめて最後は自由のある土地で死なせてあげたかった。人道的な配慮すら認めない、体制のひどさを多くの人が知ったのではないか」

 入院先の遼寧省瀋陽市の中国医科大学付属第一病院では13日午後5時半ごろ、劉氏の病室があるとされる病棟に霊柩(れいきゅう)車が到着。多くの私服警官らが警戒するものものしい雰囲気のなか、午後6時半ごろ、劉氏を乗せたとみられる霊柩(れいきゅう)車が護衛とみられる4台の車に前後を固められて走り去った。

 その後、近くのホテルに当局が設けたメディアセンターには多くの報道陣が集まった。担当者から「記者会見を開く」という説明があったが、夜になってもなかなか開かれなかった。

病院側は13日深夜に会見し、「肝臓がんは早期発見が難しい。外国の専門医も我々の治療を高く評価した」と述べた。主治医によると、妻の劉霞(リウシア)氏や劉氏の兄弟も付き添っていたという。

 中国メディアは13日夜の段階で劉氏死去のニュースを国内向けには流さず、海外メディアの放送も制限。英BBCは約10分間画面が暗くなった。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170713-00000108-asahi-int

劉暁波氏は中国共産党政府によって殺されたようなものだ。しかし、たった一人の勇気ある知識人の声におびえて、彼に自由も治療の機会も与えず、報道すら差し控えるような卑劣な独裁政権は、いつか罰せられる時が来る。いや、そういう他人行儀の言い方はよくないな。日本はこういう国と隣国にあることを忘れてはいけないし、日本の平和と自由を守るためにはこういう独裁政権を何とか民主化しなければならないこと、少なくともその覇権主義と横暴、殺戮を止めなければならないことを覚悟する必要がある。

私が劉氏で忘れられないのは、もちろんあの格調高い08憲章もあるが、何よりも、映画「天安門」(2001年、カーマ・ヒントン、リチャード・ゴードン)における勇姿。最後の段階で、燃え盛る火の中、人民解放軍という名の虐殺軍が天安門の寸前に迫っている中、学生と労働者に対し、劉氏はこのままとどまるか、撤退するかを呼び掛けた。こういう時、「ここに留まるぞ」という声は大きく、撤退とは言いにくいのが当然だ。しかし、すでに多くの犠牲者が出ていた。このまま天安門広場で軍隊と激突すれば、多くの人々が命を失うだろう。

劉氏はそこで、撤退か、広場を死守するか、どちらを選ぶかを呼び掛けた。もちろん投票なんでできる状態じゃないから、それぞれの思いの人は声を挙げろ、と叫んだ。一番危険なのはばらばらに行動することだ。ここまで来たら、いずれを選ぶにせよ団結して行動しなければならない。撤退を選ぶ人のほうがおそらく多かったが、その声は出しにくく、たとえやや少数でも広場死守を叫ぶ声は大きく響く。しかし劉暁波は、おそらく彼の判断で、撤退を選択し、広場の全員に秩序ある撤退を選ばせた。おそらく彼によって、犠牲者の数は少しでも減らすことができたはずだ。

劉暁波氏はノーベル平和賞を受賞していたが、それは劉氏の名誉ではない。ノーベル平和賞の側が、劉氏によってふたたび権威と価値を取り戻したのだ。

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