書評 父の謝罪碑を撤去します 大高未貴著 産経新聞出版

書評 父の謝罪碑を撤去します 大高未貴著 産経新聞出版
三浦小太郎(評論家)

「朝鮮人慰安婦強制連行」、いや、彼自身の「証言」によればほとんど「人間狩り」に近いことを行ったと「謝罪」していた吉田清治。すでに彼の証言を報じた朝日新聞もそれが虚偽であったことを認めているにもかかわらず「吉田証言」は未だに国際的に影響を与え、日本は「冤罪」にさらされたままである。ソウルの日本大使館前をはじめ、世界各国に建てられている慰安婦像はその象徴的な存在でもある。本書はまず、その吉田清治自身が韓国の「望郷の丘」に1983年に建立した「謝罪碑」を、吉田氏の長男が「撤去」しようと決意するところから始まる。

「謝罪碑」にはこう刻まれている。

「あなたは日本の侵略戦争のために徴用され強制連行されて、強制労働の屈辱と苦難で、家族を思い、望郷の念もむなしく、貴い命を奪われました。私は徴用と強制連行を実行指揮した日本人の一人として、人道に反したその行為と精神を深く反省して、謹んで、あなたに謝罪いたします。老齢の私は死後も、あなたの霊の前に拝謁して、あなたの許しを請い続けます。合掌。1983年12月15日 元労務報國會徴用隊長 吉田清治」

 意外なことだが、ここには「強制連行」が強調され、慰安婦という言葉は出てこない。この疑問に対し、著者は本書において丁寧に時系列を追って答えていくが、簡単に要約すれば、この80年代初頭においては「強制連行」が韓国にとって日本批判の大きなテーマであり、慰安婦が持ち出されるのは90年代以後のことである。

しかしいずれにせよ、この碑文は、吉田証言の虚偽性が明らかになった今、既に通用するものではない。長男は、元自衛隊員に依頼し、この碑文を撤去することを決意する。実際の碑文は横120センチ、縦80センチ、厚さ9センチで、コンクリートに埋まっている状態なので撤去は不可能。長男と元自衛隊員は、その碑文の上に「慰霊碑 吉田雄兎 日本国 福岡」という同じ大きさの石碑を貼り付けることにした。長男は、父の本名は清治ではなく雄兎であり、慰霊碑であれば非政治的で、戦争の犠牲者を慰霊するだけとなる。これで政治性も、「吉田証言」も全て払拭することができると判断したのだ。夜半作業は成功裏に行われた。韓国警察からは出頭命令が来たようだが、父親の資金で自主的に碑文を、長男が書き換えたに過ず、犯罪性は全くない。

 今現在、この新しい碑文は、おそらく韓国政府によって、黒いビニールでおおわれみえなくなっている。長男はこう語っている。

「韓国政府の判断なのだとしたら、私は韓国政府に感謝します。朝日新聞に虚偽と認定された父の証言を、韓国政府自らの手で黒いビニールで梱包し、この世から葬り去ってくれたのですから。」

 そして同時に、吉田清治の生涯も、これまでほとんど謎に包まれ、真偽の明らかでない噂に彩られてきた。本書はそれを、長男や関係者への取材を通じ、現段階でできる限り明らかにしている。その結果浮かび上がってくるのは、あまりにも矮小で、かつあわれな人間の姿であり、ただ虚言と何らかの力にすがることで生きようとしてきた孤独な人物像だった。しかし、このような人間が、歴史にこれほどの影響力を与えたことに驚かざるをえない。

 吉田清治は本名、吉田雄兎。1913年10月、福岡県に生まれている。(ここから嘘があり、本人は山口県と生前語っていた)本人はこの名前を嫌っており、ペンネームは清治を使ってる。著書には「東京の大学を卒業」とあるが、これもまた証拠はない(法政大学とされたが、その卒業名簿には名前がない)。その後、著書によれば満州国国務院地籍整理局、陸軍航空輸送隊属宅などを勤務、朝鮮独立運動家の金九を輸送した罪で逮捕されたとされているが、これもどれ一つとして確証はない。ただ、この時期、朝鮮人を一人養子にしていることは確実であり、その子孫は今も日本在住である。そして、吉田清治が昭和17年、山口県労務報国会下関支部の動員部長に就任し、そこから「強制連行」を行ったと証言するようになるのだが、もちろん、この団体は下関市内の朝鮮人労働者の管理を目的とするもので、従軍慰安婦とは全く関係がない。

 戦後も、長男の回想によれば、吉田清治は一切仕事らしい仕事をしたことがないという。知人の好意や、成長した息子たちの労働でかろうじて生活する姿は、まさに生活無能力者のそれである。息子二人はソ連に留学しているが、これも、政治的な意味は実はほとんどなく、貧しい中大学に行きたい子供たちの希望であり、実際には「ソ連留学記」を出版社の勧めで書いたため二人は退学させられている。

吉田清治の趣味は雑誌への投稿であり、文章を書くことが好きだったのは事実だが、センスはあっても、プロの書き手になるほどの力はなかった。しかし、虚言辟はこのころから相当なものだったようで、韓国KCIAに狙われている、彼らからお金をもらってしまった、その他のことを警察に告げてはいくばくかのお金を得ようとしていたことが本書では明らかにされている。

その彼が脚光を浴びるのが、80年代の「強制連行」証言だが、ここでも長男は断言している。吉田清治は「強制連行」したという済州島には行っていない。長男は、その事は直接父から聴いたと断定する。強制連行について本を書くときには、常に済州島の地図を見ながら書いていた。彼は、この本が出れば相当なお金が入ってくると息子たちにほのめかしていたようだが、実際には1,2冊の本が多少売れたくらいでそうそう印税が入るものではない。長男は生涯、働いて一家を支えるしかなかった。

吉田清治も、その証言が次第に疑問視され、慰安婦を支持する知識人や弁護士も離れていく中、孤独な晩年を送っていた。かって彼を証言者としてもてはやしていた人々も、ほとんど訪れることもなかった。2000年に亡くなっているが、長男によれば、最晩年は本を出したことを悔やんでいたという。長男は一生未婚、次男もすでに亡くなっており、「吉田家」はこれで絶えることになるのだろう。しかし、この長男が取材に答え、偽証言による慰霊碑をこうして葬り去った意義は大変大きい。この長男のほうが朝日新聞よりも、はるかに「歴史に責任をとる」生き方をしたと言えるのではないだろうか。

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