書評 朝鮮大学校研究 産経新聞取材班 後、朝鮮新報に私のことが載った昔の記事も置いておきます。

しばらくブログの方ほっといてしまいましたが、また再開いたします。興味のある方はまたご訪問ください。

書評 朝鮮大学校研究 産経新聞取材班

三浦小太郎(評論家)
 朝鮮大学校という、東京都小平市に存在する、多くの日本人にはいまだに未知な存在がある。1959年,金日成直接の指令で建てられ、それ以後、北朝鮮の独裁体制に従属するエリート、そして工作員を要請し続けたのがこの大学校である。そしてこの大学校は、美濃部都知事の時代に東京都により認可され、現在に至るまでその「特権」を享受し続けている。

1960年代後半、北朝鮮で金日成の在胎主義体制と個人崇拝が確立以後、朝鮮大学校内部でも暴力的な粛清が展開され、少しでも自由な思想を持つ教授は迫害され職を追われた。それ以後、朝鮮大学校を含む在日朝鮮人教育機関は、全く自立性を失い、北朝鮮政府に命じられた教育方針に従属するばかりである。

1972年、朝鮮大学校学生200人を、金日成の60歳の記念に、半強制的に送り出した朝鮮大学校元副学長が語る、本書に収録された懺悔の言葉は胸に迫る。朴は当時、北朝鮮と主体思想を本気で信じており、嫌がる学生を説得してでも北に送り込んだ。本来なら恨まれて当然なのに、朴が訪北した時に、なけなしのお金でお土産を買って訪れた学生も、朴のホテルの前で、何とか懐かしい先生に会おうと寒空の中行ったり来たりしている学生(許可なくして勿論一般市民は外国人には会えない)もいた。「心の中で『すまなかった、許してくれ』と、謝罪の言葉をつぶやくだけだった。」このような歴史こそ、在日朝鮮人と、当時の段階では韓国を独裁政権と批判しても北朝鮮の人権抑圧を看過していた日本知識人こそが直視しなくてはならないはずだ。

本書に紹介される在日朝鮮人たちは、朝鮮大学校をはじめ、総連支配下にある朝鮮学校の教育内容を少しでも改善しようとした人たちだ。しかし、その試みは、現時点ではすべて失敗している。2016年、朝鮮大学校創立60周年に、「敬愛する金正恩元帥への言葉」として大学校教員が読み上げた「「大学内に主体の思想体制、領導体制及び米日の帝国主義を壊滅できる力をより一層徹底的に整えていきます」という内容にこの学校の本質が現れている。

この朝鮮大学校は美濃部都知事が認可して成立した。この負の遺産を清算することを、本書は小池東京都知事に求めている。都議会選挙の一つの課題として、この朝鮮大学校認可の見直しについて、各政党は意見を表明してほしい。いま朝鮮大学校で行われていることは何等民族教育ではない。朝鮮民族を多く殺害した北朝鮮の金一族こそが朝鮮民族の敵であるはずだ。私(三浦)は書評の枠を越えて呼びかけたいのだが、小池都知事は豊洲問題も重要であることはわかるが、過去の都政の問題点をただしたいのならば、まずこの朝鮮大学校の認可見直しに着手してほしい。自民党都議も、もし拉致被害者救出の志を持つのなら、この点においては超党派で知事と連携できるはずである。(終)

後、ついでに、というわけでもないのですが、朝鮮新報(総連系新聞)に一度だけ私の名前が載った時の記事。今整理していたら見つけたので記念にここにも載せておきます。あれからもう10年もたつのだなあ。

この「都秋枝」という女性は、帰国事業で北に渡り、母は日本人妻。先に兄が脱北して日本に来て、その後、支援者の力で兄が中国に渡り、妹を国境に導いて脱北させ日本に来ました。私も多少関わっていたんで成田空港に迎えに行きました。

でも現実的に、母親が一人日本に来て、子供たちを北朝鮮に残した状態では耐えられないんですよね。福祉を受けアルバイトをしたとしても、北に仕送りするほどの力はほとんどない。今の日本についての深い知識もなく(子供のころ北朝鮮に親に魅かれていったわけだから、日本についての知識は1960年初頭で止まっている)、システムもよく理解できない。60年代当時は隣近所の付き合いは今よりはるかに密だったはずだけど、良かれ悪しかれ現代社会はプライバシー重視で、アパートの隣がどんな人かも知らないしお互い干渉しないのが普通。兄との仲もだんだん悪くなって、私を含め支援団体とも遠ざかっていった。

その中で北からはしょっちゅう子供から連絡が来る。確かめたわけではないけど、帰ってきてくれという内容かお金を送ってくれという内容のどっちかですよ大体。母親としては、最後は心中する気で北に戻ったのかもしれないなあと思います。中国経由で北朝鮮に戻り、そこで記者会見を開いた。いまどうしているかはわからないけど、最初の数カ月はちやほやされるかもしれませんが、そのあとは、一度裏切った人間を許すほど甘い国ではないから、殺されはしなくても地方で貧しく苦しい生活をしているだろうとは思う。

まあ私の名前を最初に言わなくてもいいんじゃないかと思うが、しょうがないですな、事実でもあるから(ほかの人たちの名前も相当しゃべっただろうし)。ただ後半の、安倍政権(この時は第一次安倍政権)下でこういう人物がお金をもらっているという意味の部分はちょっとねえ。くれるんならもらいたいけど、そんなに甘くないよ日本は。あと確か私は破防法かけろとかはあんまり言っていなくて、スパイ防止法を作って取り締まれと言っていたので、そこは正確に書いてほしかった。

ただ考えてみれば、こうして朝鮮新報に乗るというのは私の活動が正しかった証拠であって、それ以後載っていないのはさぼっているからでしょうね。私はこうして一度書かれただけですけど、もっと激しく、それこそ新聞ではなく北朝鮮当局から罵倒されている人も多いけれど、それは将来名誉となることです。今北から「良心的日本人」と言われている人はたぶん将来あの政権が倒れた後はえらいことになると思うので、いまのうちに態度を変えておいた方がいいと思うのですが・・・

この(彦)という記者さんも、できれば私に直接取材に来てほしかったな。連絡先とか調べればすぐわかったはずなのに。

(以下朝鮮新報記事)

 平壌滞在中、「親せきが日本で待っている」、さらには「非常に会いたがっている」などの甘言に騙されて豆満江を渡り、中国・瀋陽を経て日本へ行き、再び祖国に戻った都秋枝さんの記者会見の模様(録画)をテレビで見た。記者会見は12日、平壌高麗ホテルで行われ本紙記者も参加した
▼記者会見で都さんは、平安南道北倉郡で暮らしていたが、「生活上の援助を与える」という複数の人間の口車に乗せられて日本に連れて行かれ、3年7カ月間を過ごしたと語った。瀋陽の日本総領事館総領事が関与した事実、そして日本に来てみれば、待っていたのは親せきではなく、帰国同胞らを日本に連れて来ることを生業とする「三浦小太郎」という人物だったと赤裸々に語った
▼この人物、朝・日平壌宣言の破棄や、破防法を適用して総連を解散させろなど、反朝鮮、反総連活動の先頭に立つ一人。都さんの証言からすると、日本外務省とこの男が一体だったことは明らかだ
▼こうした複数の「人さらい集団」が、連携を取り合い不法活動をしながらも何らの取り締りを受けることなく、逆に堂々とうごめいているのが安倍政権下の日本の現状だ。同じような思考の持ち主だけに、活動の余地がさらに生じただけのことなのだろうが、それにしても尋常ではない
▼都さん以外にも、同じような経緯を経て日本に連れて来られた人たちはいるはずだ。日本は外務省ぐるみで関与していたのか、官邸からの指示はあったのか、日本政府からの活動資金援助はあるのか等など、明らかにされるべき問題は多い。(彦)
[朝鮮新報 2007.7.20]
https://korea-np.co.jp/j-2007/08/0708j0720-00001.htm
You can leave a response, or trackback from your own site.

Leave a Reply

Subscribe to RSS Feed