偶像破壊的ではあるが読みごたえのあったヴェルレーヌ伝

「ポール・ヴェルレーヌ 」ピエール プチフィス (著), 平井 啓之 (翻訳), 野村 喜和夫 (翻訳)、筑摩書房 を読みました。購入したのは1年ほど前だったんですが積読で、読み始めて一昨日読了。

ランボーとかヴェルレーヌとか、実は大してわかりもしないのに10代から20代にかけて詠んだ時期は誰でもあると思いますが、やはり私は詩とかは無縁なのか、もうここ数十年読み返すこともありませんでした。しかし、堀口大學氏の訳した新潮文庫のヴェルレーヌ詩集を20台に読んだ時、本当のことを言えば詩以上に役者の解説や、そこで書かれたヴェルレーヌの破滅的な人生のほうが面白く、いつかちゃんとした伝記を読もうと思い、30年以上経過してやっとこの本に出合ったという次第。

いやー、これを読むと、ヴェルレーヌも、彼の破滅のきっかけを作ったランボーも、本当にどうしようもない人だったんだなあということがよくわかる。かってはあれだけ憧れていたランボー、この本を読む限り絶対付き合ってはいけないタカリ青年で、しかも事実上ホームレス・ヴェルレーヌも同様で、母親に溺愛されてひたすら我儘に育ち、奥さんとのコミュニケーションも取れず、結局離婚後は息子の養育費も出さず、自分だけではなく周りも破滅させてながらついには福祉の厄介になり、身の回りの世話は場末の娼婦たちにさせていく、あんまりお付き合いしたくないタイプ。しかしなぜだろう、読んでいくうちに、本当にどうしようもない人なのに、なぜかだんだん好きになっていく(隣にいたら困るけど遠くにいたら会いに行きたいと思わせる)魅力が感じられてきます。ヴェルレーヌの生きた時代は、ナポレオン3世とパリコミューン、そしてその後の共和制下、ゾラが描いたような貧民窟で、しかも、どうしようもない人々だけどどこか魅力のある連中が(才能があろうとあるまいと)たむろしていた世界。なんでこれほど絶望的で退廃的な世界が魅力的に見えるのか、それは著者の文章力の力なのか、訳者の力なのかわからないけれど、なんだか悪い酒だけど飲まずにいられないような読書体験でした。

ヴェルレーヌが、貧困と病苦の中亡くなりましたが、その際に詩人マラルメが捧げた言葉は心に残る。

「不幸は彼を傷つけたが、変わることはなかった。どん底にあっても絶頂にある時と同様に、自分のあるがままの姿に誇りを持っていた。彼はそのことを社会の要請に身を屈することを拒むことによって示した。その社会は、彼が柔軟な態度さえ見せれば(中略)お金と栄誉とによって報いただろう。だが彼は望まなかった。

それにお前のかたくなな願いを

悲しませたからと言って
社会よ
何故に私をおとしめるのか?(双心集)

彼は望まなかった。なぜなら代価があまりにも高かったから。彼には孤独と貧しさの方がましだった。その通り、毅然としていることだ。」

ヴェルレーヌの晩年は、生活は荒れ、アブサン酒にひたり、その詩作品も衰えていったようです。ただ、たとえ詩は書けなくなっても、彼は生き方として詩人でありつづけたのでした。

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