書評 アッラーの花嫁たち

書評「アッラーの花嫁たち」ユリヤ・ユージック著 WAVE出版
 まず、本書の四三頁と五四頁を開き、二人の若い女性の写真を見比べて欲しい。前者は、使命感、恍惚感、そしてやや狂信性すら感じさせる姿が映されている。真一文字に閉じられた口元、頭に巻かれたショール、無造作にまとわれた黒い服。全てをあきらめ、ただ一筋の信念を抱いて旅立つ人間の凛々しさと危うさがみなぎっている。
後者は対照的に、抗し難い魅力を湛えた美女の写真だ。しかし、左右のバランスがやや崩れた視線、モノクロ写真からも伝わってくる化粧、宙にさ迷わせた左手のマニキュア、やや口を開いて他人を誘うかのような表情からは、前者とは正反対の、退廃的な虚無感を感じさせる。そして、これは両者とも、チェチェンの「自爆テロリスト」の写真なのだ。
前者はアイザ・ガズーエワ。二〇歳で、ロシア軍警備司令官に自爆テロを行った。後者はザレーマ・イナルカエワ。十六歳で自爆テロを命じられたが、偶然爆死を免れ、その後は精神的ショックから立ち直ることができず、今は娼婦の一人として生きている。本書「アッラーの花嫁たち」は、チェチェンの自爆女性テロリストの姿を生々しく描き出した傑作である。著者、ユリヤ・ユージックはロシアの女性ジャーナリスト。私たちが抱きがちな「夫や家族をロシア軍に殺された寡婦たち」「狂信的イスラム信仰を持つ狂気の集団」というテロリスト像は、彼女の取材によって見事に覆されていく。この表現に該当するのは、本書ではアイザ・カズーエワの場合のみであり、むしろ例外に属するのだ。
アイザ・カズーエワは、夫を無実の罪でロシア軍に殺されている。警備司令官のガザーエフは、武装テロ勢力のバーブ教徒に対し、徹底した弾圧で挑んでいた。しかし、アイザの夫は、その信仰には無縁だったにもかかわらず捕らえられ、激しい拷問にかけられた。ガザーエフは泣いて釈放を訴える彼女の前で、夫の腹を引き裂き、その内臓に彼女の顔を押し付けた(四二頁)。さらに、アイザの兄は地雷を踏んで片足となり、松葉杖をついて散歩している事を、面白半分にロシア兵に撃ち殺される(四四頁)
このような体験を経た女性が復讐のテロに走ったとしても、少なくとも私には到底批判する資格はない。彼女には、ガザーエフに復讐する正当な理由があり、このような不条理と暴力を彼女に押し付ける世界を拒否する権利もあった。しかし、ザレーマ・イナルカエワの場合は、これとは全く違う、さらに深いチェチェンの闇と絶望を提示している。
ザレーマは恋人であり、テロの指導者でもあったシャミール・ガリベコフと結婚する。しかし、その結婚は「私が道を歩いていると、彼の車が止まり(中略)男達が飛び出してきて、私を車の中に押し込んだの」(五二頁)という、恋愛関係にあったとはいえ、殆ど略奪婚に近いものだ。しかも、連れて行かれたアパートでは、既に他の女性が3人住み、シャミールの仲間達も生活していた。女性達は彼らの世話をし、同時に「彼ら全員と寝たわ。彼らはこう言うの。こいつは俺の兄弟だから、今日はおまえを彼にやることにしたって」(五四頁)という生活を続けた。悲しむザレーマにはしばしば麻薬が食事に混ぜて投与されていたようだ。
そして、ついにこの女性達に警察署への自爆テロ指令が下される。これを拒否した女性達は連れ出されて殺され、恐怖と麻薬で麻痺したザレーマは爆発物の入ったバッグを持って警察署にはいる。しかもこのバッグの爆弾は、外部からの遠隔操作によって爆発されたのだ。
ザレーマの例は極端にせよ、チェチェンの自爆テロリスト女性の多くは、信念や復讐心で行動しているのではない。著者はモスクワ劇場を占拠した実行犯を中心に、そこで命を落とした女性達の短い人生を辿り直しながら、彼女らが何故爆弾を抱いてモスクワに向ったのかを究明している。そこから導かれる余りにも悲しい結論は「あの自爆した女たちの中で、ほとんど誰一人として死にたいと思っている人はいなかった」「彼女たちが人を殺しているのではなく、彼女たちを使って人が殺されている」(二百二十八頁)というものだった。
著者は2つのケースに彼女たちを分類する。一つは「不運な者」、三十、四十代の女性達で、彼女らは未亡人か、様々な理由で未婚の人生を過ごしてきた。社会から疎外され、孤独な生活を送っている彼女らを、テロ組織の「スカウトマン」は探し出す。彼女らは言葉巧みに慰められ、時には妻として迎えられ、新たな家庭や友人を得る。その感謝の想い覚めやらぬうちに、バーブ教徒の文献、テロ讃歌の音楽、「聖戦」への誘惑が彼女の心に注ぎ込まれる。
もう一つのケース「花嫁」では、10代、20代の女性だ。彼女らはしばしばバーブ教徒の家に育ち、男性への絶対服従が要求されている。このような家に「スカウト」に行くのはしばしば年長の女性達だ。もちろん両親は、著者の取材の前では、娘達を守ろうとしたこと、また連れ去った「スカウト」への怒りを語る。しかし、何らかの形で、テロ組織からの脅迫と同時に、一定の金額が両親に渡され、娘達は暗黙の内にテロ組織に売られていく事を本書は暴き出す。また、父を戦争などで失い保護者のいない少女は、しばしばザレーマのような「略奪婚」を受け、そのまま隔離されてしまう。しかも、ロシア軍も警察も、反テロリズムを標榜しながら、この現実に対しては全く対処していない。「チェチェン やめられない戦争」(アンナ・ポリトコフスカヤ著 NHK出版)が抉り出したように、軍と警察の腐敗、石油利権、旧ソ連時代の復活を思わせる軍産複合体の出現が、テロ・武装勢力とロシア軍との間に共犯関係を形作っているのだ。本書でも同じ構造は各所で告発されており、出版後僅か半年で発禁とされた事は、逆にこの問題の深刻さを明らかにしている。
私見では、既にチェチェンは国連平和維持軍駐屯による秩序回復、人命救助、ロシア軍とテロ組織双方の実態究明と処罰が必要な状態であるが、国際世論も国連も何ら行動を起こそうとしていない。「人権、人道」は声高に語られるが、いまだ真に必要な地域、北朝鮮、中国、そしてロシアのチェチェンなどで、国際的な行動によって「擁護」「実現」されたことはないのだ。
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