アジア映画社の朴炳陽さんが、映画「クロッシング」に寄せた文章

アジア映画社社長の朴炳陽さんが、4月26日、山岳事故でなくなりました。
最近、山歩きが趣味となっていた朴さんでしたが、その際の墜落で亡くなったようです。
朴さんは、若い日々は小劇場演劇の世界で活躍され、その後映画界に転身、「金日成のパレード」を日本で最初に公開した時に中心となって働いた方で、私が一緒に仕事をさせていただいたのは、脱北者の悲劇を描いた映画「クロッシング」の時でした。その際朴さんが映画のために書いた文章を、追悼の意を込めて紹介いたします。確か、当時のパンフには掲載できなかったと思いますので、ここに記録しておきます。
パンフに載らなかった理由は、映画のパンフレットなのにその映画自体に言及がなく、朴さんの政治的な意見が殆どだという理由だったように記憶しています。それは確かにその通りでした。ただ朴さんとしては、あの映画を「政治とは関係なく家族の愛情を描いたもの」「北パッシングではなく純粋な作品として受け取れば…」などというきれいごとではどうしても語りたくなかったのでしょう。そのお気持ちも私は充分わかる気がします。朴さんが最後まで許せなかったもの、それは北朝鮮の独裁と同時に、彼の国の人権侵害などという言葉をはるかに超える、民衆への虐殺に対峙せずに、綺麗ごとを語る在日知識人や日本の一部左派だったはずです(三浦)

国家が国民を殺す時

アジア映画社 朴ピョンヤン

 戦争と革命の二十世紀が私たちに教えたことは、人間にとってもっとも必要なものは、一人一人が自由に生きること、そして家族の平和な日常の営みを守ることだという、余りにも単純な真理だった。国家も、イデオロギーも、あらゆる政治制度も、この真理に反するものであってはならない。しかし、この映画で描かれている北朝鮮の現実は、人類史上もっとも醜悪な、自国民から自由と日常の平和を奪う国家と、それに踏みにじられながらも家族愛を失わない美しい家族の姿だ。

 人びとが飢餓で苦しむ時代は、朝鮮半島の歴史にも長くあった。しかし封建体制下の李朝時代でも、この映画に描かれているような、人間が移動の自由もなく、子供たちが問答無用で殴り殺されるような蛮行が蔓延っていたとは思われない。日本が韓国を統合したときの人口は、現在の公開されている北朝鮮人口と殆ど同じ約1300万人だという。その後、朝鮮半島が植民地下を脱した時は南北をあわせて2546万人に増加している。独立を失った植民地下でも、人びとは生活し、家族を守り、子供を育てて日常を生き抜いてきたのだ。

 しかし、北朝鮮政権は、その当初から自国民の、自民族の命を奪い続けた。1950年に彼らが始めた朝鮮戦争は、南北の分断を固定化しただけではなく、民間人を合わせて450万人の生命を失わせた。そして戦争後、今度は北朝鮮政権の暴力と虐殺は自国民に向う。「クロッシング」に描かれる収容所は、国家が何の罪もない、ただ生き抜こうと努力しただけの人びとを重労働と乏しい食料で殺していく装置である。これは北朝鮮建国時から存在し、現在に至るまで、ただ平和に暮らそうとする国民が一言政府への不満を漏らしたり、外界の情報に興味を持ち海外の放送を聴いたり、あるいはキリスト教聖書を中国などで入手し読んだだけで送り込まれていく。1990年代後半に起きた飢餓は約三百万の北朝鮮国民を飢えと病で死に追いやったが、その間、北朝鮮政権は核ミサイル開発や軍拡に血道を挙げていた。国家がこれほど残酷になり、これほど人間を苦しめている例は、おそらくヒトラーやスターリン、ポルポトなどのごく少数の例外を除いては存在しない。

 この映画は、北朝鮮という国家が存在すること、それ自体が悪であること、国家が消滅し崩壊することの危機ではなく、国家の存続そのものが人間の生命の危機をもたらしていることを、美しく哀しい映像で何よりも雄弁に語っている。そしてこの地には、私たち日本で本来ならば平和な日常を送れたはずの、9万3千人の在日帰国者、日本人妻たちが、北朝鮮の実態を知らされず、それどころか虚偽の宣伝で送り込まれたことを、私たちは決して忘れてはならない。(終)

You can leave a response, or trackback from your own site.

Leave a Reply

Subscribe to RSS Feed