三宅博先生講演録「覇権の終焉とアジアの黎明」

三宅博が4月24日、逝去しました。ここに生前のご厚誼を深謝し、謹んでお知らせ申し上げます。
通夜 4月27日(木) 19:00〜  
葬儀・告別式 4月28日(金) 11:00〜
式場 八尾市・八光殿南植松 八尾市南植松町4-141 (JR八尾駅徒歩15分)
喪主 三宅育子

前衆議院議員の三宅博先生がお亡くなりになりました。北朝鮮問題、また南モンゴル問題などで大変お世話になった方でした。

昨年、南モンゴルの世界連帯組織「クリルタイ」が東京で結成されたとき、わざわざ関西から来てくださいました。それだけでもありがたかったのですが、当時議員ではなかった三宅先生にとって決して楽ではなかったはずなのに、多額のカンパを受付において行かれました。こんなことを書くのは三宅先生はきっと嫌がると思います。しかし、陰でそういうことをされる人でした
以下の講演記録は、三宅先生が2016年5月28日に南モンゴルの団体で行ったものを文字おこししたものです。先生にはこの記録をメールでお送りしてありました。もしかしたら、将来著書をまとめられるお気持ちがあればそこにも収録されたかもしれないのですが、ここに天国の三宅先生をしのびつつここに公開させていただきます。三宅先生の政治思想の重要な部分がこの講演には集約されているように思います(三浦)

南モンゴル自由民主運動基金講演会

「覇権の終焉とアジアの黎明」
講師 三宅 博氏
2016年5月28日(土)
 皆さん、こんにちは。ご紹介をいただきました前衆議院議員の三宅博でございます。肩書としては前衆議院議員であると共に、特定失踪者問題調査会の常務理事という肩書になります。

 きょうのテーマは「覇権の終焉とアジアの黎明」ということで銘打ちました。非常に大きなテーマをお話しするということで、力不足かということもあるけれども、私はこれは単にアジアの黎明というよりも、世界中がいま非常に大きな転換期に直面しているように思えて仕方がありません。

 そういうなかで、南モンゴルの自由連盟のダイチンさんともご縁をいただきまして、いろいろと私自身も彼の活動は本当に敬意を持って見ております。また、その悲願が達成される日ができる限り早く来ることを心から願っています。

 それでは、本題に入っていきたいと思います。

 そもそも、過去の世界の歴史を大観すれば、過去にも何度か非常に大きな覇権の存在がありました。紀元前で言いますと、ギリシャのマケドニアの王であるアレクサンダー大王です。彼は南ヨーロッパから中東、インドに至るまで大東征をして、当時最大の勢力を実現しました。これは紀元前、もう2300年ほど前の話ですけれども、その時期というのもあっという間に終わってしまいました。

 それからずっと現代に至るまでの間に、それに勝るような覇権を実現したのが、まさにモンゴルというか、元のチンギス・ハーンであり、そしてフビライ・ハーンであります。しかし、モンゴル帝国も約100年間の栄華、第6代までです。

 日本の歴史のなかでも鎌倉時代もたった3代で終わってしまいました。こういう覇権というものは一時の勢いで非常に大きな成果を上げると同時に、あっという間に跡形もなく消えていく定めにあると思います。
 それでは、現代もそのような覇権の存在はあるのか。それはあると思います。先ほど言いました700年前のモンゴルはその後どうなったかといいますと、スペイン、ポルトガルが世界中をずっと制覇しつつあった。その後を受けてイギリス、オランダと覇権国家が世界を凌駕してきました。

 現在は、500年前に始まった中世ヨーロッパによる世界の制覇が終焉を迎えつつあるのではないかと思います。こういった基本的な認識については、皆さんもそれぞれお持ちでしょうし、大きくは共通すると思います。その500年間の西洋列強による覇権の終焉が、いまわれわれの現代社会に覆いかぶさってきまして、いまそういう空気の中で、それぞれの地域・民族・宗教・文化が紛失されようとしている状態だと思います。

 これは過去のように暴力や軍事力で抑えられるような状態ではなくなってきたと私は考えております。皆さんに一度考えていただきたいのですが、それぞれのご家庭で、お子さんが小さいときは親の言うことを何でも聞いてくれますよね。親がどこか行くと言ったら「僕も連れて行って、私も連れて行って」と言ってうるさいくらいに付いて回る。ところが、だんだん自我が芽生えてくると、それぞれ自分の考えに基づいて行動するようになって、思春期を経て大きくなってくるともう親の言うことを聞かないし、自分の考えに基づいて行動を始めると思います。

 まさにいまの世界の状況は、いままでなら素直に親の言うことや権威や存在やいろいろなものを畏怖し、それに従順に従ってきた子どもたちが、それぞれ成長し、親の言うことを聞かなくなってどうしようもない状況。小さい子どもだと、時はぶっ叩いてでも言うことを聞かせますけれども、思春期を過ぎ成人すると、ぶっ叩くどころか反対にこちらが力で負ける状態になってくると思います。いまヨーロッパや中東などので様々なテロやいろいろな動きが一挙に噴出してきているのは、これとある部分で似た姿ではないかと思います。

 500年前に、スペイン、ポルトガルがローマ・カトリック教会によってそれぞれが世界を二分する権利を与えられて、西と東からずっと回ってアフリカ、アジア、南米と世界中を二分して略奪競争をしていきました。そのなかで、インディアンの滅亡など、非常に多くの悲劇を生んできました。その後、スペイン、ポルトガルの力の衰退を見て、イギリス、オランダが海軍力にものをいわせてこういうものに取って代わりました。一時の戦前のイギリスは、24時間太陽の沈む時間がないというぐらい、世界中に覇権を実現しました。

 昔のモンゴルも、ほぼ全ユーラシアに近いぐらいの版図を広げました。けれども、こういった暴力による支配は、やはりいつまでも無理に無理を重ねている状態なので、続くものではないと思います。

 そのようななか、先ほども申しましたように、子どもが大きくなり、極度に文明と情報の発達した世界のなかで、こういう覇権を持つ国家のみが世界を抑え込むことができなくなったのです。それに対抗するいろいろな武器や情報を持ち、そしてテロという手段でこれを覆そうとしているのが現況だと思います。

 そして、500年前に始まった西欧列強による世界の争奪戦に終止符を打ったのが、私はわが日本だと考えています。彼ら西欧列強の民族にとって有色人種というのは人間ではないのでしょう。そういう宗教的な見方で、武器と聖書を携えて世界中を制覇していったのです。

 秀吉の朝鮮征伐も、こういった世界中の覇権競争のなかで明や朝鮮半島を手先に使って日本を治めようとした。そういうものを見抜いた上で朝鮮征伐が行われました。その前の織田信長も、当時のイエズス会のバテレンの進出の品位というものを悟ったときに、大変な失敗をしてしまったということを考えただろうと思います。

 それで結果的に徳川の治世になって、キリスト教を信じることを幕府が禁止してしまった。私はこの行為については、為政者として、国を治める人間としてやむを得ない選択だったと思います。また、単にキリスト教のみならず、日本国内において宗教の持つパワーというのは非常に大きなものでした。信長の時代だと一向宗に対する大変な戦いがありました。大阪の本願寺をいかにしてぶっ壊すか。また、比叡山の延暦寺を全山焼き討ちにしてしまった。むごいことを平気でしてしまったのですけれども、国家を治めるという観点からすると、ああいう手法を取らざるを得なかったと思います。

 これは特定失踪者問題調査会の別団体ですが、予備役ブルーリボンの会というものがあります。先だっても大阪で会合をしたばかりです。元自衛官の方で奈良の浄土宗のお寺の住職ですが、吉本さんという方が中心になって、葛城奈海さんもお越しになって大阪で勉強会を開かせていただきました。その吉本さんは現在は浄土宗のご住職ですが、元の職業は自衛隊の特殊作戦群の中隊長をされていました。

 特殊作戦群の中隊長が一転して自衛官を辞して、もともと自分のおばあさんが住職をされていたらしいですが、奈良の浄土宗の寺院を継いだ。一見まったくの畑違い、非常に大きな身の処し方の転換と受け取られる部分もあるかもしれないけれども、私はまったくそうは思わないです。自衛官というのは軍人。私は軍人と住職というのはきわめて近い存在だと思います。

 それは先ほど申しましたように、比叡山の延暦寺の姿を見ても、中世を見ても、あるいはいまの中東のイスラムの指導者の方々を見ても、国家指導者が宗教の中心的な存在も兼ねるというのはもともと世界の歴史のなかでは当たり前の話で、決して珍しいことではないからです。政治家も宗教者も、軍人も、言ってみれば畳の上で死ぬことができない可能性が非常に高い職業だと思います。

 私自身も、若いとき近所の浄土真宗のお寺によく行きました。というのも、私の父親がお寺の屋根瓦などの工事を職業としておりまして、その手伝いで私も時々お寺へ行っていました。当時右も左も分からない10代の終わり頃だったのですが、そのご住職に非常に目をかけていただいて、「この本を読め。次はこの本だ」というように自分の書かれた冊子をいつも頂戴しました。一時は、私自身も本当に僧侶ということも真剣に考えたこともございます。しかし、自分の性格などを考えると、もし仏道に入るといつか破綻を来すな、ちょっと無理だなということで断念したこともありました。

 また、私は大学も四天王寺大学といいまして、聖徳太子の四天王寺さんの大学を卒業しました。大学を卒業したと言っていますが、普通は18歳で高校を卒業して大学に行きますが、私はその当時家庭の事情もいろいろありまして、家もあまり経済的に余裕もありませんでしたし、自分自身もそんなことをやっていられるような状態ではないということで、社会に出て親の仕事の手伝いをしたり、また勤めたりしました。その後、結婚をして、子育てのこともありまして、行くべきときに大学へ行けませんでした。

 平成21年に、私は平沼先生の知遇を得て、小泉さんの時に、平沼グループから無所属で衆議院に出馬しました。力が及ばずあえなく落選したのですが。その前は地方議員をずっとやっておりまして、選挙の直前になって地方議員を辞めて国政に身を転じた。これは1つには地方議員として自分のやるべきことはやり尽くしたと。これ以上、自分の政治的な考えを実現していこうと思ったら国政に身を転じるしかないということで、国政に転じて挑戦をしたのですが、落選してしまいました。それで、地方議員の職もないということで、「はて」と自分で考えまして、その時は58歳になっていました。

 これから次の選挙まで少なくとも3年半は国政選挙がないけれども、地方議員になる気はまったくありませんでした。自分は国政で日本の様々な山積する課題を一つ一つ変えていきたいという信念がございましたので。それで選挙に落ちて58歳で、これから3年半選挙がないと。なおかつ子どももそれぞれ成人して、さっきの話ではないですが、親の言うことなんかまったく聞く気もありません。子育ての責務からも解放されて、3年半時間があいているのであれば、若いときに行けなかった大学にいまから行こうと思って、大学に入学しました。

 それで、私は4月7日生まれで、4月2日が入学式で、入学した時は58歳の最後でしたが、それから大学に行きました。ただ、選挙の解散がいつあるか分からないと。これはできるかぎり早く単位を取得しておかなければならないということで、当然18歳の子どもたちと机を並べて、単位を前倒しで取っていかなければならないということで、9割以上の単位を2年半で取りました。あとはいつ勝負になっても行けるという状態になったときに、まさにいまからいうと3年半くらい前の選挙になりました。

 当時、石原さんは太陽の党だったのですけれども、たちあがれ日本から太陽の党になり、そして西のほうには大阪維新の会がございまして、橋本さんと石原さんの盟友関係のなかで両党合併して国政選挙に臨むということになりました。私は平沼グループの縁もあり、一方、大阪維新の会の本拠地は私が住んでいる八尾市です。松井代表と私はずっとそれぞれの親の代よりも上の代からの付き合いで、家も歩いてすぐのところです。

 だから、本来だとそちらから出る選択肢もあったのですが、やはり筋を通していくとなると平沼さんの所で行かなくてはならないということで、純粋比例ということで合流しました。私と西村眞悟は純粋比例で行くということで、非常に温かい配慮をしていただきまして、なんとか議席を得ました。ところが、2年で選挙になりまして、一昨年の暮れに落選してしまいました。

 そういうこともあって、大学も仏教系の四天王寺大学に行きまして、聖徳太子の思想などを勉強させていただきました。なぜ仏教系の四天王寺大学に入ったかというと、やはり仏教の勉強をもう一度やり直したかったということもありました。四天王寺大学は家から一番地理的にも近いし、これはいいと思って58歳で入学しました。18歳の子どもたちと一緒に、私はいつも教室の最前列の真ん中に座って教授をずっとにらみながら授業を受けておりました。先生方は嫌だったでしょうね。

 変なことを言うと僕は黙っていませんからね。「それ、ちょっとおかしいんちゃう、あんた。間違ってるよ、それ」とか言ってね。憲法学の教授の言ったことの間違いを正したりしていました。満席の生徒のなかで間違いを指摘されたりすると、教授も非常にやりにくかったなと。時においては相当激しい応酬もあったということで、学校にとっては招かざる生徒というか、決して歓迎すべきではない生徒だったかもわかりません。

 それでほとんどの単位を選挙前に取得しまして、あと1割はゼミや卒論という形でしたのでなんとか卒業しました。卒業したときはもう62歳になっておりました。現役の衆議院議員であって、大学生であって、それを終えたということです。話は少し横にそれましたけれども、そういうこともございました。

 宗教が政治に及ぼす影響の大きさは、人をして命を捨ててまで国家に殉じるということです。いまの中東のテロ行為は、先の大東亜戦争の純粋な日本の特攻精神とは少し異なる、違う世界のことだと私は思います。純粋に国の窮状を変えんがために身を投じる人もいる。ただ、テロで罪もない多くの老幼婦女子を巻き添えにするのは、いかに崇高な目的があっても許されるものではないと私は思っております。

 それほど宗教、国家の存在、軍事力、政治家、政治というものは本当に不可分一体のものであると考えています。

 世界の覇権競争のなかで、スペインが南米のインディオを殺していったと。たった3人か4人で王を人質に取って、次々とだまし討ちにして、民族そのものを滅亡させるに至るまでやった。しかも、いまのスペインの目を覆いたくなるような衰退ぶりというのは、この南米で犯した大罪が全身に回ってきたと。まさに仏教でいう因果応報の世界だと思うのです。

 それから、イギリスはどうしたかというと、もちろんオーストラリアもニュージーランドもインドも中国も、あらゆる国々を手中に収めて力でこれを抑えていった。

そのイギリスは、大東亜戦争の初戦でプリンス・オブ・ウェールズやレパルスなど英国が誇る戦艦をあっという間に2艦落とした。なおかつシンガポールをあっという間に陥落されました。これは、数百年の栄華を誇ってきたイギリス人にとって東洋の諸国、しかも有色人種である日本によって大英帝国がいとも簡単に陥落するとは思っていなかった。シンガポールのパーシバル将軍もほとんど抵抗できないぐらいの戦いだった。彼らからすると信じられないような勇猛果敢さ、強さというのが先の日本軍の強さだったと思います。それは、日本の自国の存続をいかに図るべきかという生きるための政策でもありました。また、日本は有色人種の一員として世界のそういう現状を見て義憤を感じたことは確実です。

 江戸時代に、出島にオランダ人が来て、彼らは奴隷を酷使していました。あの姿を見て日本人は、白人は人を奴隷にするということで当時から西洋の人間はなんていうことをするのかという見方をしていました。日本の過去の歴史でも、奴隷を酷使するということはあり得なかったのです。聖徳太子が1400年前に十七条の憲法をつくったのはいまの民主主義の先陣を切った、世界に誇るべきすばらしいことです。

 まず第一条に「和をもって貴しとなす」と。これは五箇条の御誓文の「万機公論に決すべし」という精神にもつながってきておりますし、いまに至ってもこういう精神を日本民族はずっと持ち合わせている。そのなかで、日本民族は過去500年の西洋の野望を実力によって打ち砕いた。こんなにすごい民族は本当にないと思います。

 先ほど言いましたように、紀元前のアレクサンダー大王、それからチンギス・ハーン、フビライ・ハーンのモンゴル帝国、あるいはその後のスペイン、ポルトガル、そしてオランダ、英国、そして現在に至るアメリカまで、みんな自国の国益や損得で覇権競争をずっとやってきた。これは、国益の追求という部分で仕方のない部分はあります。しかし、異民族を殲滅して、アメリカ大陸もそうですが、先住民のインディアンを2000万人以上か、ほとんどアメリカが絶滅させてしまった。イギリスからぼろ船に乗ってアメリカの新天地に生活を求めたプロテスタントの一団が、最初はインディアンに大変世話になり、いろいろな生き方をインディアンの酋長に教えてもらいながら、最終的にその酋長が死んだら酋長の子どもやら奥さんをみんな奴隷にして殺しまくって、最終的にはインディアン全体を殺してしまいました。

 『動物記』のシートンの『レッドマンのこころ』という本にそのへんが非常に詳しく書かれています。インディアンの精神というのは日本人ときわめて似通った部分があると思います。DNA的にも数千年前にシベリアからアリューシャン列島を渡ってアメリカ大陸を行き、南米にまで行ったという、共通したDNAを持っていると思います。これはモンゴルもそうだと思います。いまのモンゴルもそういう部分では共通していると思います。

 インディアンの親は息子に対して「もしあなたが友と共に敵に包囲された時に、友を捨てて自分が逃げ出すということは決してしてはなりません。友と共に枕を並べて討ち死にするのが生きる道です」と教えます。これは本当に日本人の武士道の精神と共通する部分があると思います。
 あるいは、インディアンは2人で話をする時に、相手が話をし始めると、それがたとえ3時間でも4時間でも、相手が話し終わるまで待ち、それから自分の話をするという礼儀も持ち合わせていた。きわめて惜しまれてならない、こういうインディアンの魂も消え去ってしまったのです。

 アメリカは本当に大変な罪を犯しました。日本に対してもそうです。日本の国にいる老幼婦女子を焼夷弾で焼き殺して、日本中を灰燼に帰さしめた。さらに、日本が終戦の意思を示して第三国を通じてその道を探っていたときにもかかわらず、日本のそういう動きを封じて、最後に原爆を2発。広島にはウラン濃縮型、長崎にはプルトニウム型と、2種類の原爆を生物実験のごとく落として数十万の人間を一瞬に殺してしまった。

 彼らは戦後の世界の覇権を見て、ソ連に対する牽制の意味もあってこれを実施したとか、このことによって多くの日米の生命が助かったのだからあれは正しい選択だったということを抗弁していますけれども、数十万の人間を一瞬で殺して、百万以上の人間を焼き殺した上でこういうことを言う資格は決してないと思います。

 先にインディアンを絶滅させ、そしてまた日本の老幼婦女子を100万人以上も殺した。あるいはイギリスは世界中の、特にアジアの本当に罪もない人間を殺しまくって自分の版図に入れた。アフリカもそうです。どれだけ多くのアフリカの奴隷が酷使され、亡くなっていったか。こういう暴力による覇権は、いまはもたないです。ありとあらゆるところで限界を見ているいまの世界の状態ではないかということです。

 それから、先ほど申し上げましたように、大きくなった子どもが言うことを聞くはずがない。武器や情報というものを知ってしまった。幼かった子どもではないのです。何も知らなかった子どもではない。いまはすべてを知った上で成人した。いろいろな民族が過去の自分たちの、こういう言い方をするとどうかとは思いますが、先人の恨みを果たすときだという復讐の念に燃えている。あるいは、国家の自立というものを目指してやっていく。これはある程度必然的な動きだと思います。

 まさに世界全体が因果応報の世界に入ってきつつあると思います。アメリカのこれからの姿というのは、私は悲惨なものがアメリカという国を待ち受けているように思えて仕方がないです。いま、アメリカも多くのプアホワイトというか、貧しい大多数の人間が、1%とか数%の人間に富の大半を握られている。われわれは完全に彼らの経済的な奴隷、餌食、犠牲になっているのではないかということで、アメリカの国民は相当目覚めつつある状態のなかで、トランプ現象が起きたりしています。日本にとって最悪の選択はクリントン大統領だと思います。アメリカにとってはサンダースさんが一番いい大統領だと思います。アメリカという国家にとってですよ。覇権というものは別物にして、アメリカの国民の幸せを願うとサンダースさん。あの方は素晴らしいところがあると思います。

 世界中が過去500年の因縁の世界というものからいまだに脱しきれない、この混沌とした状態の世界のなかで、新たな価値観、そして新たな世界の姿を取り戻す資格と能力をあわせ持った国家はどこにあるのかというと、どう考えても私は日本しかないと思います。資格と能力の2つが必要です。そうすると、日本人以外にそれを果たす資格と能力をあわせ持った民族はいない。いやが応でも日本はいずれ世界の混沌とした状態のなかで新たな世界史の使命を果たすべきときに直面する。しかも、それは遠い将来の話ではなく、すぐ目の前に横たわっていると私は思います。

 もちろんその前に、日本の国家の真の意味での自立を実現しなければなりません。こういったものは決して50年、100年先というよりも、これから10年、20年、30年が勝負の時期だと思います。われわれ、荒木さんを中心に拉致問題解決のために走り回っている者は、単にめぐみちゃんが可哀想だとか、有本恵子さんが気の毒だという感傷的な思いだけでやっているのではないのです。人として本当に気の毒でかわいそうだという感情ももちろん持っておりますけれども、それとともにこの問題を解決しない国家がほかの問題を解決できるはずがないと。こんな簡単な話はないのです。

 犯人は北朝鮮。拉致された被害者はほとんどは北朝鮮の招待所で集団で暮らしているのでしょう。ある外務省の高官が平壌へ入って、向こうの当局者と車に乗りながら移動している最中に、「実は、このマンションに横田めぐみちゃんが住んでいるのです」と聞かされたということを、荒木さんから私も教えてもらいましたけれども。そういう簡単な構図です。犯人は北朝鮮。これは国家犯罪。テロ行為として日本人を略奪・拉致をした。それは様々な目的のなかでこれをやった。しかも、いるところも分かっている。

 こんな簡単な問題を解決できない。しかも、いま自民党内閣すらも、小泉さんのときの細田官房長官が「なぜ、拉致被害者を救うことができないのですか」と言われたときに、「相手も一国の政府ですから、やはり向こうの了承なしに、われわれが向こうへ行って取り返すことができないんです」と言って、本当に「こうなんですよ」と言って理解させようとして、そういう答弁をしました。

 しかし、根本的な矛盾についてどんな思いを持ってそんなことをおっしゃったのか。まともな神経だったら、とてもじゃないけどそんなことを言えるような状態ではないです。昨年の安倍総理もそうです。拉致問題の解決に対する質問のなかで、「いまのわが国の憲法で、外国へ行って拉致被害者を救うということは憲法上の制約もあって、これを実現することはできません。ただ、アメリカが拉致被害者を救い出してくれて、その拉致被害者を乗せた戦艦を応援することはできるのです」と。よくもこんなことをおっしゃるなと。

 荒木さんが言うように、普通だと内閣それぞれがぶっ飛んでもおかしくないような答弁が平然と国会で行われている。日本の国会、国政はどうなっているのかという思いもしてなりません。この問題を解決できない日本の政治が、あとの外交、国防、経済、教育など、山積しているいろいろな難問を解決できるはずがない。階段でいったら第1段目です。1段目が上れないような政府が「4段目はこうして上るんです。5段目はこうして上がるんです」と。私は「よく言うなぁ」と本当に言いたいです。

 そんな日本の現在の政治の欺瞞というものを、国民は等しく厳しい目で眺めなくてはならないと思います。日本人の非常に素晴らしいところでもあるのですが、従順でいさかいを好まないというこの部分が、いまの世界中のせめぎ合いのなかではマイナスとしていろいろと現れてくると思います。

 非常に硬直した日本の政治構造の部分にもあります。これは民族的な成功が成されたことが原因となっている部分もありますが、政治家も、政府全体も、人事も、考えも、行動もきわめて硬直して、先例踏襲主義に陥っていると思います。

 安倍さんの現在の姿は、第一次とかなり様相を異にしていると思います。安倍さんの姿を分かりやすく言うと、彼の亡くなられた祖父の岸信介さんの行動原理に非常に最近似てきたように思えて仕方がないです。何よりもアメリカの意向を忖度して日本の国政に反映しようとしていると思います。そのなかで、われわれがこういうことでいつまでも逡巡したり、ちゅうちょしている時間的余裕はなくなっているにもかかわらず、いまだにそこから脱却できないでいるように思えて仕方がないです。

 これは、モンゴルにも関係があるのですが、日本の硬直した状態の原因は何か。先の大戦のときに満州には100万の関東軍がありました。なおかつ、130万人の日本の入植者が満州に散在しておりました。そして、その西の、いまのモンゴルのほうに駐蒙軍という日本の軍隊がおりました。そこには35万人の日本軍哨兵がいて、4万人の日本人入植者がいました。

 それで、8月15日、終戦の詔勅が天皇陛下から発せられました。そのときに無傷の100万の関東軍はどのような行動をとったかといいますと、それに対して非常に従順に、即時に武装解除に応じたのです。果たしてこの行動が正しいかどうかということですが、彼らはそのときにソ連軍から「満州の南部は非常に混乱しているから、迂回して日本に帰すから列車に乗りなさい」と言われて列車に乗った。そして、連れて行かれたのは日本ではなく、西を向いてシベリアの西北のほうに連れて行かれた。そして、酷使されて数万人、あるいは数十万人かもわかりませんけれども、日本兵が亡くなって向こうの土となっていったのです。

 それでは、130万人の日本人入植者はどうなったか。ソ連兵、あるいは延安の毛沢東指揮下の八路軍の連中によって大変な略奪、陵辱、虐殺といった目に、数十万の老幼婦女子が遭ってしまったのです。軍の使命とは何だろうかと思います。

 そのときに駐蒙軍の司令官だったのが根本博中将でした。根本さんは自分の配下に35万人の兵士を抱えておりました。かつ、4万人の日本人入植者をなんとしても無事に日本に帰さなくてはならないという使命に燃えていました。それで、覚悟を決めまして、終戦の詔勅があって軍の大本営から「即時武装解除しなさい」といわれたときにも彼は決然として、「武装解除に応じられない。4万人の日本人入植者を無事故国に帰すことが私の最大の使命である。すべての責任はこの根本博一人にある」ということを兵士にも聞かせ、攻め入ってこようとしたソ連軍を撃退した。

そして、中国の重慶の蒋介石軍の傅作義という将軍が交渉相手だったのですが、傅作義と話をつけた。傅作義は国民党のなかでは非常に立派な人でした。あるいはその前の何応欽という将軍もいましたが、こういう人と根本さんは常に交流を持っていました。かつ、根本さんは大本営の情報畑で中国班の班長でした。

 中国班の班長であり、隣の部屋のソ連班の班長は陸士の同期で、上司同士も仲がよかったということで、ソ連の実態や、共産軍の実態が手に取るように分かっていた。「この連中は話の通じる相手ではない。とてもじゃないけど、こんな連中を信頼したらえらいことになる」ということも、骨身に染みて情報将校としてその時に分かっていた。だから、軍人にとって絶対命令である上官の命令を無視して、「われわれは武装解除に応じない」と言って決断したのです。

 そのやりとりの原文が残っていまして、いま簡単に紹介させていただきます。これは支那派遣軍、中国全体の総司令部から駐蒙軍司令部根本博に宛てられた電文です。「蒙疆方面(ウイグル方面)におけるソ軍の不法行為に対し、貴軍の苦衷、察するに余りあり。しかれども詔勅を体し大命を奉じ、真に耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶの時たるをもって、本職は大命に基づき血涙を飲んで、総作戦命令第十二号のごとく、あらゆる手段を講じ速やかにわれより戦闘を停止し(自分から戦闘を停止し)、局地停戦交渉および武器引き渡し等を実施すべきを厳命す」と、中国軍総司令部から根本将軍に対する電文があった。

 これに対して駐蒙軍司令部の根本さんが返電しました。この根本さんの返電が「ただいま張家口(中国の地名)には二万余の日本人あり(実際には全モンゴルの辺りで4万人いた)。外蒙ソ軍は延安(毛沢東軍)と気脈を通じ重慶軍(蒋介石)に先立って張家口に集結し、その地歩を確立せんがため(ソ連軍と毛沢東軍と相計って、蒋介石に敵対していたのでこれをのけものにして、そこで拠点を作ろうということで)相当の恐怖政策を実施せんとあるがごとし。撤退に関しては重慶側の傅作義は張家口の接収を定義し来たり(張家口をきちんと接収する)。日本人の生命財産を保護すべきも、もし延安軍または外蒙ソ軍等に渡すならば、その約束は守るあたわざると申しあり」。

さらに、「攻企図を封殺す(攻めようとする企みを封殺しなくてはならない)、交渉成立せず戦闘を惹起するの恐れあるに至らば、特に上司に報告し、その認可を受くるにあらざれば承認し得ずとの態度をもって応酬しつつ(もし戦いになっても上官からの許可に関係ななく応酬する)、時間の猶予を得てまず在住邦人、なかんずく老幼婦女子を援護しつつ、後方?適宜の要点に離隔す(隔離する)。右の場合においてはソ蒙軍は?サンカイカン以南に進出せざることを確約せしむ」と。

 ということで、自分一人の責任でこれをやって、軍の上からの命令を決然として断ったのです。この人は当時の中将ですから、幼年学校から陸軍士官学校を出た官僚のエリート中のエリートです。ほかの100万の関東軍のソビエト軍、延安軍、共産軍に対する態度との違いは、本質を知っていた根本さんの立場と、関東軍は共産主義に対する非常に甘い幻想を持っていた、単にこの違いです。

 かつ、軍の非常に大きな勘違いがそこにありました。軍人の守るべき使命は国家の権益であると関東軍は思っていました。国家の権益、資源や領土を守るのがわれわれ軍人の本分であると。入植者が100万人いようが130万人いようが、それを援護して無事に日本に帰すのはわれわれの仕事ではないという勘違いがありました。

 ここに根本さんとの大きな違いができて、このあと満州にいた130万は大変な目に遭って、かの地で悲惨な最期を遂げた。駐蒙軍にいた4万人の日本人は、飢えも知らず、安全に日本まで帰ってくることができました。大変な違いを見た。
 関東軍の連中は「これは天皇陛下の命令であるから、われわれは従わなくてはならない」と言っていけれども、彼らの「軍の使命は権益を守ることだ」という非常に大きな勘違いと、共産主義に対する幻想の2つが相まって、こういう悲劇が起きてしまったのです。

 それぞれエリート官僚ですが、やはり感性の違いや情緒の有無があるのではないか。エリートの人間は知識などは吸収し、詳しいですが、人間が人間たる本分である情緒、感性といった部分が疎かになっていた。その部分が涵養される機会があまりなかったのではないか。

 文化の存在意義というのはまさにここです。何のために音楽や絵画、あるいはお芝居や日本の伝統文化やオペラといったものを見るかというと、情緒を涵養するため。このことが最終的な判断に非常に大きな影響を及ぼす。いまの日本の政府の対応はまさにこの関東軍の対応と非常に似ていると私は考えています。

 韓国が慰安婦の像をアメリカや世界中に建てようとしています。それに対して、アメリカにいる駐在員の子どもたちが学校へ行ったら、韓国人やアメリカの子どもたちに大変ないじめに遭って、殴られたり、唾を吐きかけられたりということです。それを聞いた親御さんが、大使館や領事館に「こんな不名誉なこと。なんとか助けてくれ」と言っても、彼らはなにひとつそういう訴えに耳を貸さないです。まさに関東軍のあの硬直化した思想と非常に似ています。

 だから、大使館とか領事館の館員は、われわれの仕事は国家の権益、パスポートに判を押したり、ビザにどうこうとか、あるいは事故が起きたときはどうこうと言って、日本人のこういう不名誉とか、あるいは従軍慰安婦の強制連行というありもしないとんでもない騒ぎに踊らされてこういうことが起こっているなかで苦しめられている日本人の子どもたちを救うのは私たちの仕事ではないと、大きな勘違いをしているのです。

 エリート集団はこういう大きな落とし穴に落ちる部分があります。これが、日本のいまの政策にも非常に大きな影を落としていると思えて仕方がありません。

 こういう硬直化した官僚機構によって牛耳られているいまの日本の政治を、根本的に変えていかなくてはなりません。拉致問題や教育、国防、またいまの日本のジャーナリズムのとんでもない腐敗、堕落した現状を根本的に変えていかなくてはならない。そのためには、日本が真に自立をしなくてはならないのです。

 教育でもそうです。日教組が長年にわたってありもしないうそを子どもたちに教えて、子どもたちを卑屈、退廃に流れさせていく。こんなことは決して許してはなりません。パール判事も大東亜戦争のときに、日本の子どもたちがありもしないうそによって卑屈、退廃に流れるということをなんとしても止めなくてはならないということをおっしゃいましたけれども、まさにこれをしていかなくてはならないのに、それができない。

 なぜそれができないのか。すべて国家の土台に問題、欺瞞があるということです。国家の土台とは何か。国家の根幹法たる憲法にやはり問題があるといいますか、これがすべての原因を成している。現行憲法の前文を読んでください。皆さん当然ご存じだと思いますけれども、あそこに何が書かれているか。これは簡単な話です。あんなものは知識で読むものではないです。感性でごく常識的に読めば分かると思います。

 日本人はとんでもない民族だ、悪い集団だと。だから、日本のことは日本人が決めてはなりません、日本のことを決めるのは平和を愛する諸国民が決めるのだと。「平和を愛する諸国民」とは、あの何百万人も殺したロシア。そして、8000万といわれる自国民を飢えと虐殺で殺していった共産党の中国。南北朝鮮。そして、世界中を覇権で包囲し各民族を虐殺しまくった西欧列強。そして、日本中を焼夷弾で燃やし尽くして、最後に2発の原子爆弾まで落としたアメリカが、まさに「平和を愛する諸国民」の親玉でしょう。

 その親玉が作った、日本が悪いという憲法を、この70年間、押し頂いているのです。憲法に「日本が悪い」と書いてあるのですから、教育公務員たる教員が小・中学校の義務教育の現場で「日本は悪い国だ。日本はこんな悪いことをしたとんでもない民族だ」と言うのも、ある部分では当たり前の話です。公務員というのはすべて憲法を中心とした、すべての法令というものを順守しなくてはならない。彼らがやっている反日教育というのは、憲法の精神からするときわめて正当性があるのです。反対に、「そんなうそを教えるな」というのは、憲法のとんでもない文章からすると、無理がある。

 そういう国家の土台というものを根本的に変えていく、戦後構造から日本が脱却する必要がある。しかも、そんなに時間的に余裕はありません。憲法改正といっても、現行憲法の改正手続にのっとってこれをするというのは不可能だと思ってください。

 自民党が昭和30年に保守合同をやりました。最大の眼目は何か。自主憲法の制定ということをうたいました。あれをやろうとしたらその日の晩にできたのです。その日の晩にやらないことには。それで、その後60年間自主憲法制定とずっと言って保守の旗印を掲げて、やっていることは戦後構造をずっと守る。自民党のみならず、民進党も共産党も公明党も戦後構造の使徒というか、これを守ろうとしている。この行動もまったく一緒なのです。だから自民党と民進党と公明党やら何やら、与野党が分かれて国会で論戦をして戦っているように見えますが、あんなものは国民を欺く、欺瞞的な姿であると私は思います。

 この戦後構造、あるいは国外にあった戦後国際秩序がまさにいま限界を迎えて崩壊の憂き目に遭いつつある。ここで、われわれ日本人が本来の真の自立を勝ち得て、それを実現することが、先ほど申しました過去数百年の世界の覇権に代わる新たな世界像、そして世界民族の共存、融和に不可欠です。しかし、これを実現する使命と資格と能力をあわせ持った日本人がいまだに70数年間の戦後構造に身を置いて、それに対して拱手傍観している。こんなことは許されない。それは、日本そのものの存続もいずれそのことによって失われていくだろうと思います。

 われわれには日本国のみならず、世界の平和のためにもやるべき大きな使命があります。単にアジアのみならず、世界全体が日本の立ち上がりというものをいまか、きょうかと待っていると思われて仕方がありません。
 こういう時期に、いま私は身を置いておりますけれども、じっとそういうところにこれからも身を置き続けるということは、私自身は許されないと思っています。これはまだ正式には決まっておりませんけれども、私は来月行われる参議院選挙に参議院の全国区から立候補しまして、国政に身を置いて、その中心から日本の根本的な立て直しを実現すべく、すべてをなげうってこれからも全力を挙げる所存でございます。
 きょうは、ダイチンさんを中心とする南モンゴルの方々から非常に貴重なお時間を頂戴いたしました。私も本当に心からこれに感謝して、大阪からこの地に参った次第でございます。これで私のお話を終えさせていただきます。本当にありがとうございました。(拍手)
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